さて、年初の言葉として何を記すべきかを考えた場合、昨年の象徴であった少年の刑法犯罪について、まず述べることにしました。
新聞雑誌では、少年法の不備が原因の一つであるといったものから、ゲーム感覚(バーチャル)の世界でしか現実世界も見られないという意見、低俗なマンガ等の影響、学校教育の荒廃等多種多様な分析がされています。また、心の教育がなされていないから起こるのだという意見もありました。状況分析としてはそうですが、ではどうすれば良いのか、その処方箋といった明確な回答をあまり見ることはできません。
子供達がその判断基準をなくしている。何がして良いことで何をしていけないのか、何が悪いことなのかを私たち大人が教えていないことに大きな問題があります。これらの事件を子供のせいだけにしてはいけないはずなのです。子供は大人の背中を見て育っているのですから。私達が戦後経済至上主義をとったこと、日本独自の豊かな良き伝統を捨て、アメリカの悪しき自由・放任主義を取り入れたこと、即ちその精神的支柱とすべきもの、価値基準を見失ったことに起因しているのです。それらを反省しなくて子供達に何が伝えられるのでしょうか。アメリカは自らの荒廃を、教育を正すことによって直し自信を取り戻しました。日本はどのようにしてこの荒れた社会(荒廃している、間違っているということから認識しなければなりませんが)を直そうとするのでしょうか。
直すべき点は、まず第一に悪いことはやってはいけない。この簡単であり難しいことを実践することが始めになります。「人を殺す経験をしてみたかった。」なんと恐ろしい言葉でしょうか。何故校長先生始めいろんな方々が口を揃えて、命は大切にしようと言っても伝わらないのでしょうか。言葉で話しても伝わらない。いろいろな原因があるでしょうけど、悪いことは悪いとする片付け方ができていないのが一番大きいのではないかと思います。少しくらい悪いことをしても許される。そんな甘さからくるのかもしれません。 自分を律することは本当に難しい。自分に甘くしてしまうのが常です。私自身も含めて反省しなければならない点なのですが…。
これと関連することですが、肉体を鍛えるのと同じように、自らの精神を鍛えること、これも必要になります。肉体を鍛えるにはさまざまな負荷を筋肉に与えます。そして、カラダを休め成長させ、栄養補給します。同じように甘やかされた精神ではなく、さまざまな苦労(負荷)、考える力(休息時間)、豊かな心(栄養補給)を含めた柔軟で且つ強い精神を鍛えること。即ち弱く細いゴムのような「すぐ切れる」心ではなく、弾力性富む「柔軟な」心をもつよう努力すること。まずそのためには、考える癖をつけることが必要です。身近な自分の行動で、無意識に、習慣的にやっていないか、自分を甘やかしていないか等から直していく。うつろい易い日ごろの生活です。日々の生活の中で、反省しながらやっていければと思うのですが……。
人を殺すことはいけないということ。年長者を敬うということ。すべての命は大切にしなければいけないこと(これも大切の仕方が分からないのかもしれませんね慈しむことも今の時代わかりにくいのかもしれません)。自分の行動には責任を持つこと(自由と責任は表裏一体)。さまざまな徳がこの国には溢れていました。先人達の教えのうち一つでも自分の信条とし、日々の生活に反映させていければと思います。
次の時代を担うのは、若い人たち、子供たちです。彼らは何を基準に新しい世紀をつくりだして行くのでしょうか。私達がメッセージとして残さないといけないのは何でしょうか?例えばお金を儲けることでしょうか?この機会に少し考えていただければ幸いです。今年一年が昨年より良い年になりますように。
プロペラ代表 くまかわ えいすけ