巻頭言 「受け容れる」ということ
(こころのボランティア)
私達は、一人で生きている訳ではありません。物質的なものから精神的なもの全てに対し、様々なもの、刺激を「受け容れて」生活を営んでいます。三度の食事を受け容れなければ、お腹がすいてしまいます。人との付き合いが無ければ、個人の成長、修練は望めません。書物を読むことも然り。他者を受け容れて、はじめて人らしく生きていっているはずです。
では、私達は、「障害」を持って生きている人をしっかりと受け容れているでしょうか。世界中に溢れる「難民」の人々を受け容れているのでしょうか。これらの受け容れは、通常、痛みを伴います。自分の価値観、生活を脅かすかもしれない場合、人は拒否、不安、寛容でない心が生じてきます。皆様はご存知でしたでしょうか。障害者の施設をつくる場合、地域住民の同意書が必要であることを…。
「受け容れる」ことを学び、成長するためには、多くの試練や経験が必要です。受け容れられるものが増えてくれば、それだけ幅のある人格、人間に成っていきます。バリアフリー、地域で生きる等掛け声はいろいろありますが、他者の「受け容れ」がなければ、それは無に等しいのです。そして、その「受け容れ」の基準は、決して感情ではなく、理性に基づいたものであってほしいのです。
皆様は、日ごろ、何を受け容れて、何を拒否していますか?
そして、受け容れる度合いが少ない方は、何故そうなのか、少し考えてみていただければと思います。もちろん、この寛容さは、「悪いこと」を受け容れ、肯定することを意味しません。悪いことは悪いと判断し、許してはいけないことが大事で、そこを曖昧にすることから、犯罪の肯定が始まり、日本を犯罪の多い国にしつつあるのです。
僕の中でも、日ごろの生活の中で、条件反射的に拒否したりすることが、たびたびです。そのこだわりの中で、大事にとっておくもの、捨てるべきものを取捨選択していく繰り返しです。なかなかどうして、自分のこころを律して様々なものを受け容れて行くのは大変な作業です。その場合の基準は、自分にとってメリットがあるなしではなく、それを認めることが、他者を生かしうるかどうかであって欲しいのです。例えば、何故、障害者施設が必要なのかを…。
最後になりますが、この機関紙を読まれる皆様には、是非、「受け容れる」こと−即ち「こころのボランティア」の実践をお願いしたいと思います。
プロペラ代表 くまかわえいすけ