最近考えること・思うこと
最近良く考えることのひとつに、正しい言葉の使い方ということがあります。これを例に、今回は話しを進めて行きます。相手のことを「テメー」とか「おまえ」とかいうのは論外として、ある物事を言葉で正しく示すことの難しさとその必要性を、自分自身の勉強不足もあって、痛切に感じます。
例えば、「知的障害児」という言葉。彼らを表わす表現として、行政を中心に使われます。私自身はこの言葉が、個々の子供の特質・個性を無視し、誤った印象を他の人々に与えるという点で、余り使いたくありません。なにごとも分類し単純化したい人々からは「知的障害児」という言葉は便利な用語でしょうが…。
例示の二つ目として、「人権」という言葉。「人権を守ろう」、という言葉を耳にします。犯罪に焦点を当てれば、少し前までは、加害者の人権に重きがおかれていましたが、最近では被害者の人権、尊厳にやっと光があたり始めました。また、日本の外に目を向ければ、日々の糧すら満足に得られない人々は世界中に数多います。日本では衣食住はまがりなりにも保障されている事実を考えると、この言葉の意味は抽象的すぎるように感じられます。誰が誰に対して人の権利を主張するのか。「国家」対「人」という構図だけなら、人権という言葉も可能かもしれませんが、もっと個々人に焦点をあてた場合、「尊厳」という言葉の方がより適切なのかもしれません。この場合、「被害者の個の尊厳」はしっくりいきますが、「加害者の個の尊厳」は?がつきます。
さて、上記2つの言葉を合わせてみましょう。『「知的障害児」の「人権」』。何を想像しますか?何か具体的なことが見えてきますか?行政なら、上からものをみますので、これで、○○政策、△△補助金等でてくるのでしょうが、何らかの障害をもって生まれた個々人の顔を知る自分にとっては、意味のない言葉に思われて仕方がありません。個を無視して全体を考えることの危険さを内包しているのです。
個々の個性ある□□ちゃん、○○君に焦点をあて(けっして彼らは知的障害児とくくられるのではない)、彼らがどう生きていくのがふさわしいか(ここには人権の概念は無く、尊厳が一番妥当な言葉)を基本に考えること。そして、その観点から物事を考えれば、決して、惑わされず、正しい方向に進めること。最近良く感じます。なお、これは決して「個」のワガママを認めるわけでは、ありませんので、ご注意を。