巻頭言

 私事ですが、先日祖母を亡くしました。それ以来、街で歩いていると、何故か、老人の姿を目で追っています。私自身、人の死を目の前で見て、葬式、火葬の一連の式を体験するのは二度目です。この経験が多いのか少ないのかわかりませんが、私の意識に、何か大事なことがらを生まれさせたのは事実のようです。

 以前に書物で、『現代は、核家族化が進み、「人の死」というものを身近に感じられなくなった時代である。』と読んだことがあります。人の死は必然なのに、その存在を認識せず、怠惰に生きていたことを今、悔やんでいます(後悔先に立たず!!)。自分の頭の中では、できるだけのことをしよう、してあげたいと想い、そして、していたつもりであるのに、こうすればよかった、ああすればよかったと今になって思うことはしばしばです。多分そのときの状況では、それが最善だったかもしれませんが・・・・・・。

 翻って、今、自分が作っている人間関係の中で、私が、最善を尽くしているかどうか。はたして、係わっている子供達のことを自分のように果たして考えているのか、将来のことも。そして、お母さん、お父さん達のことを、本当に知っているのか。もしかしたら、知ったつもりでいるのかもしれません。

 ボランティアのことも然りです。

 彼らには、できるだけ、ボランティア活動に参加してほしい。そして、自らの活動を確立して、一生を通じて、いつ如何なるときも、ボランティアの気持ちを持ちつづけてほしいと願っています。しかし、甘やかすだけではなく、厳しさも必要なのではないかと、最近しばしば感じます。

 家族のこと、職場のこと、その他私的なこと、数え始めたらきりがありませんが、できるだけ誠実にものごとを為していきたいとは思っています。そして、祖母の死を眼前にして、改めて思ったこと。自分は、一生を通じて、ボランティア活動をずーっとしていくだろうということを再認識しました。知ったことに対し、誠実にそして、できうることを最大限努力して実行していきたいと、心新たにしました。祖母の死によって、私の心の中に、新たな決意が生まれたようです。

 これもある本からの引用ですが「すべての物事には始まりがあり、そして終わりがある。また、終わりの中に(新しいことが)生まれている。」という言葉がありますが、私はこの言葉も好きです。過去から連綿と繋がっているはずの祖先の記憶と体験を受け継ぎ、そして今の自分があるのだと思う時、私の身は、私一人のものではないと感じざる得ないのです。また、現在という時に焦点を当てれば、今、自分が作っている人間関係の中で、一人で生きているのではないのも事実です。これまでの自分の知識と体験を、他の役に立つなら、できるだけ、伝え、示したいと感じています。

 もちろん、誠実さが一朝一夕で身につくとは思っていません。しかし、できうるなら、この気持ちと意思が、自らの死を迎える時まで続くことを願い、そして、そうなる如く、日々の生活をしていきたいと思います。  祖母を送る言葉に代えて。

プロペラ代表  熊 川 英 輔