社会人ボラに求めるもの

 「福祉」って言葉を辞書で調べると、第一番目に「幸せ」や「幸福」という意味がでてきます。「祉」には、「幸」の意味があるようです。ある本に書いてありましたが、日本の歌の大部分は「幸せ」を歌ったものだそうです。そして、「幸せのかたち」は、人それぞれ千差万別です。その人が求めるものによって、その人の信念や行動が変わってきます。

 まず、自分のことを最優先に考える場合、一般的には多くの人がそうですが、その視野に入るのは、仕事のやりがいやそれに繋がる報酬としての金銭、結婚、子育て、老後の生活、趣味などの生き甲斐等が最優先事項として挙げられます。もちろん余力があれば、ボランティア活動、地域での奉仕活動等を通じて、社会への還元を考えることを実行し、これは一般的に健全な生き方であり、精神であります。

 次に、自分のことよりも他のことを優先して考える場合、勿論前提として自分のことはしっかりやっていただけなければなりませんが、なかなか今の世の中では貴重な存在であると言えます。ただ、他のことを自分より優先して尽くす、これが、依存的な愛しかたであれば(即ち愛されたいために愛す。愛が欲しいために愛す)、相手が受け入れてくれない場合、その人は、現代社会の心の病である「鬱(うつ)」になりやすくなってしまいます。俗に言う、「自分がない」状態です。言葉を変えれば、「自分の愛し方」を知らない状態とも言えます。一方、自分は自立しつつも、それえもなお、自分より他者を優先させる、その必要性、必然性を感じ(全体的、俯瞰的な見方ができる)、自分を犠牲にすることができる人は、強い人であると言えます。勇気のある人です。

 さて本題ですが、私どものグループにはたくさんのボランティアが集まってきます。プロペラ会員やこの機関紙を読む皆さんは、自分で、「何で自分はボランティア活動をしている」か、誰かから問われた場合に、答えることができますか?

 単に、時間があったらとか、興味があったから等の表面的な理由ではなく、この動機がどこから出てきたものか、自分の「生き方」や「幸せ」を考えた場合に、ボランティア活動はどのような位置付けになるのかを是非考えてみてください。勿論、学生はまだまだ暗中模索であり、活動を通して、自分をかたちづくって欲しいですし、社会人であれば、自分の生活とボランティア活動のバランスをどうとっていくか、そして、自分にとってのボランティア活動とはいかなるものかを、後輩の学生に尋ねられたら、いつでも答えられるように、所信(こうだと自分を信ずること。信ずるところ。岩波国語辞典より。)を述べられるように、先輩として用意しておいていただきたいのです。(決して、なんとなくとか、ひまだからなんて、無思慮の答はしないように!)そのような、精神的なバックボーンをもって、活動をしていただきたいのです。

 (勿論、むやみやたらに披露してくださいという意味でもない。味のある大人になっていただきたいのです)。先輩の姿を見て、後輩は育っていくのですから。そして、厳しいかもしれませんが、大人になればなるほど、どこかの政治家みたいに自惚れたり、自分に甘くなるのではなく、自分に厳しくなっていただきたいのです。

 ボランティアをしてるから「えらいね」といか「すごいね」と言われていた時代は過ぎようとしています。これからは、どうしてしているの?と問われた場合に、自分の生き方、幸せのあり方をも問われる時代になります。日本人総ボランティア化というのは、案外もう、近いところまで来ています。社会人の先輩は、今の小学生に追い越されないようにご注意を。。。/プロペラ代表  熊 川 英 輔