4.対話を終結させるための/対話の出発点としての自己決定
対話・・・?
@決定内容についても〜一回考えよう
A対話を終結させる自己決定
前回、自己決定を、目的ではなく手段として捉えることがいいのではないかと書かれていました。
でも!!『自己決定=すべて本人の意思に任せる』ことではない!忘れてはならないのは、『本人にとって結果が最大の利益となる』こと。パターナリズムを恐れるあまり、すべて本人の意思を尊重するということは、援助者がパターナリズム的に本人の意思を無視して決定することと同様の関わり方だということに気づかなければならないよ、というのです。つまり、1)本人の意思を無視することと、2)すべて本人の意思を尊重することは、どちらも、本人と援助者との関係性がない、「対話(意思の疎通のようなもの)」がないじゃないか!ということなのです。
極端な例として、「死にたい」と思う本人に対して、1)は「ダメだ。」といい、2)は「それならどうぞ」というような関わり方ということ。わかってもらえるでしょうか?(知的障害があるのだから意思の疎通はできない!という考えではなく、1)か2)ではなくて、お互い歩み寄ろうという意識を持とうということだと思います。もちろん簡単なことではないと思いますが)
3.独り言と対話
4.対話の出発点としての自己決定
パターナリズムは援助者の「独り言」、目的として捉えた自己決定は本人の「独り言」ではないか?
これに対して「対話」は、お互いの思いを提示しあうこと。たぶん普段私たちが人間関係の上で自然にやっていること(?)。(それが知的障害ということで、関わる側がうっかり省略してしまっているのだ。)
先ほどの例で「死にたい」と思う本人がいるとして、「ダメ」でも「どうぞ」でもなく、最大限その人の気持ちを理解しようと努力し、「なぜそう思うのかな。」「私はそうしてほしくない」「どうしたらいいのだろう」などなど、言葉に限らない何かの形で意思のやり取りをすることが、本当の自己決定にたどりつく方法ではないか、自己決定とは対話の出発点となるべきだとということです。 (さいとう)
*「福祉科学とコミュニティー『自己決定』をめぐる問題状況」創刊号
/編集・発行:福祉科学とコミュニティー研究所