今回は少し観点を変えて、仏教の八正道に沿ってボランティア活動を見てみたいと思います。八正道は、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正進」「正念」「正定」からなります。「正見」とは、正しくものごとを見るとされ、第三者の立場から、客観的(主観的ではなく)にみることとされています。「正思」については、正しくものごとを考えることとされ、思いやりの心を基盤に、自分の利益ではなく何が相手の幸せなのかを考えることが必要とされています。そして、正しくものごとを考えることによって、対人関係を良くし、自らの心も明るくなります。「正語」は、「正見」「正思」に基づいてつくられた想いを正しく語ることを意味します。愛と慈悲ある言葉で、調和を作り出すことを意味します。
「正見」「正思」「正語」の概念は理解しやすいですが、それを実生活の中で実践するとなるとなかなか難しいものです。日頃の鍛錬、訓練が要求されます。自分の都合のいいところだけを見て、自分本位な考え方に基づき、言葉の刃で調和を破壊することはもっての他ですが、、、、
私たち人間の認識できる範囲は狭い。また、考えの及ぶところも浅い。その中にあって、できるだけ相手に幸せになってもらおう、幸せな気持ちをもってもらおうとする心は、普遍的な真理として存在し、それを言葉や行動にすることは、小さな子どもから大人に至るまで共通してできるものです。古来、イスラム教ではこれを「戒律」をもって示し、キリスト教においては「愛」をもって示し、仏教にあっては、「八正道」や「中道」において示していました。
さて、現代社会において、死語となりつつあるこれらの言葉をあえて持ち出したのは、これらの要素が全て必要だと感じるからです。そして、ボランティア活動が何故必要とされるかは、その試金石になるからです。ボランティア活動をする人を「奇特な人」と見、彼らの思いを「偽善」と疑り、結局は自分のためだろうと他人も自分も卑下をする。本当にそうなのでしょうか?今まで繰り返し述べた、ボランティアをすることが「あたりまえの世の中」になり、それは、真に「相手の幸せ」を祈る心から導かれ、そしてその思いが多くの人々に共感ある言葉で示される。愛なきこの世に必ず一筋の光をもたらすものだからではないでしょうか(つづく)。/プロペラ代表 熊川英輔