巻頭言

前号の続きを記するつもりでしたが、遠い国で戦争が始まりましたので、そちらの方を優先して取り上げたいと思います。
私達ボランティアを志す者は、程度の差こそあれ、何か人の為にできることがあれば、自分のできる範囲で出来得る限りの支援を他の「ものごと」にエネルギーを割くことをします。その対象が福祉であれ、国際協力や環境であれ、この世を少しでも良くしよう、住みやすい社会にしようとして働きます。その心の表れが「優しさ」であり「寛容」の精神からくるものです(キリスト教の「愛」、仏教の「中庸」も同じ「恕」から来ていると思われます。難しければここは飛ばしてくださいね)。また、住みよい社会を創る為には、「温故知新」の精神を持って、悪しきは改め、良いところは伸ばしていくことも必要になってきますよね。

 さて、ここまでは以前書いたことと同じですが、国と国との争いのひとつである「戦争」という行為をどう考えたらいいか。まず、これを日常起こる人と人との争いに置き換えて少し考えてみましょう。日本においても、殺人のニュースは毎日流されます。多くは人と人との争い、そして金銭上のトラブルが原因になっています。それだけ、生きていくには難しい世の中になってきているということですが、、、、、

 難しい話や分析は、多くの他の出版物に譲りますが、ここで考えて欲しいことは、自分の周りで争いが起こった、または、自分の中に恨みや妬みが起こり他人に対して憎しみの感情をもった時、自分がどうゆう風に考え、行動するか。自己の正しさのみを主張し、相手が悪いと決め付けやっつけるか、それともお互いの主張を出し合い、相手を理解し、相手の成長を促す形で、即ち調和のとれた形で結論をつけるか。それとも、自己主張はせず、相手の言いなりになるか。。。

結論を先に申し上げれば、ここのボランティアにお願いしたいのは、考える基準を常に「相手に置く」努力をして欲しいのです。自分を中心に考えるのは容易いですが、相手の幸せ、成長を願い、実行していく心構えを持って欲しいのです。なかなか若い人には難しいかもしれませんが、そうなるべく努力をしていただきたいのです。それが、住みよい社会、争いの少ない社会を創る原動力となるのですから。これも前に書きましたが、社会が一人一人の考え方や想いで動いている以上、争いを減らすには一人一人の考え方、生き方を変えるしか方法がないのです。無作為であれ、作為であれ、先人を含め私たちが望んだ結果として、今の社会が成り立っているのです。

皆さんは、どのような社会を望みますか?
他を犠牲にしても、自分が幸せになるような社会を求めますか?
一部の為政者に付和雷同するような未成熟な社会を求めますか?
もうひとつの戦争が迫っている現在、私たち一人一人が隣人に何ができるか、真摯に考える時が、もしかしたら迫っているかもしれません。繰り返しになりますが、それは、今起こっている自分の身近な問題に対して自分がどのような判断をし、行動をするかと同じ性質を持っています。
いざという時に備え、一度考えてみませんか。/プロペラ代表 クマカワ エイスケ