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巻 頭 言(ボランティアと自由意志)

 自由意志について今回は少し考えたいと思います。辞書を引くと「自由意志」については、他から束縛されず、自らの責任において決定する意思(Free Will)とあります。ポイントは、自己責任の原則による意思決定にありますが、日本の場合、責任の所在をはっきりさせず、集団の責任(責任の分散化)をする傾向があり、なかなか欧米的な個人の責任に基づく行動には結びつかない場合が往々にあります。これは、和を尊び、共同責任と言う概念を持つ長所と、各人の責任感の欠如をもたらすという短所を併せ持ちます。欧米の場合は、おおむね、個人の責任、全体としての責任を考え、その区分は明確にする場合が多いように思われます(弊害もあり)。

 ところで、これを仕事としての自己責任ではなく、ボランティアとしての自己責任について考察します。まず、前提として、いかにボランティア活動といえども、無責任で行うのは論外ですが、それに加えて、どこまで責任を持ち、果たすか(責任の質と範囲)。これは、ボラ初期のお手伝いボラと、グループや企画の中核になって行うボラとでは、雲泥の差があります。また、社会福祉施設等で行う責任が生じることが少ない作業とある程度の時間子どもを預かるボラとも差があるかと思います。しかしながら、初期の段階であろうと、中心者になろうと、「今の時点で」「自分に何が出来」そして「しっかりと責任を果たせる人」が大事な人材となります。臨機応変な対応ができる柔軟な心と強い心を持つ人といえるでしょうか。また、これだけの活動をした、時間を割いたのにと見返りを求める心をもっていると活動は続かなくなるようです。そして、定型化されていないボラ活動において、決まったことしか出来ない人は、いずれは行き詰まり、与えてくれなかったと嘆き、去っていく結果になる場合が多いようです。もちろん、指針を与え得なかったプロペラにも課題は多くありますが(ここは改善しないといけません)。。。

 もちろん、ボラ活動はひとりで出来るものでもなく、個人ボラとしてこつこつやる場合もありますが、多くの場合は、お互い助け合って行うものです。ただ、その助け合いは、各人の方法論の違いもあり、また協力しようにもその手伝うポイントも分からずどのタイミングで申し出たらよいか難しい場合もあるようです。強力なリーダーシップを持っている場合は別ですが、それ以外の場合は、できれば一歩下がって、なぜそのやり方でうまくいかないのか、なぜ援助が得られないのかを考えてみるのも一つの方法ではないかと思います。どうして自分はこのような考えをもち、行動しているのか、自己責任をベースに考えてみる癖をつけるのもいいかと思います。

 戻りますが、ボランティア活動においても責任は生じます。理想のボランティア活動が、自己犠牲の発露としての奉仕の精神だとしても(最狭義のボラ活動)、それ以外にも、自立した大人としてその時間とお金のゆるす限りを提供する普通、一般の健全な精神(狭義のボラ活動)や有償ボラ、趣味的ボラ、職業的慈善活動等を含めた広義のボラ活動においてもです。どの形態を自分が望むのか、それはその人の価値観により優劣区別できるものではありません(自分としては、最狭義を目指していますが)。

 話が難しくなってしまいましたが、どちらにしろ、やるからには責任を持つこと、そして見返りをもとめないこと、そして何よりも自分ができることは何なのか常に問い掛けることが、自由意志に基づく行動には必要なのではないでしょうか。つねづね語っているようにその積み重ねが、より理想の社会に繋がっていくはずです。みなさんはどう考えますか?

プロペラ代表  熊川英輔