冬至が過ぎました。一年を二十四節期に分け、おおよそ2週間ごとに季節の移り変わりを示す暦も今はあまり使われなくなりました。冬至の次は、小寒、大寒、立春と続きます。旧暦では立春からが新しい年を示していました。その後、雨水、啓蟄、春分と、昼と夜の長さが同じとなり、清明、穀雨、立夏、小満、芒種そして、夏至と6月21日には一日のうちで一番昼が長い時を迎えます。その後、小暑、大暑、立秋、処暑、白露と過ぎ、秋分の日の日となります。そして、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪と来て、冬至が再び巡ってきます。当たり前のようですが、不思議なことですね。自然界ではこのリズムにそって息づいています。
人間の一生も同じようにたとえられる場合が多くあります。生まれてから成人するまでが春と夏の季節、そして三十路、不惑と夏から実りの秋を向かえ、然るべく死の用意をする。ここから再び輪廻する思想が生まれるわけですが、個人としての再生は別として、過去から連綿と受け継がれている社会のつながりは、やはり同じように一定のリズムに基づいているのでしょう。
さて、日本がどこに向かっているか。今が冬の時代なのか、抜け出すトンネルはあるのか、さまざまな識者や政治家が、明日の日本について語っています。
社会全体は大きなリズムを持って息づいていますが、その構成員たる個々の人間の意識によって、日本が退潮しているのか、再び前進しているかが変わってきます。最近ではよく語られるようになりましたが、社会の退潮は、個々人のモラル(徳)の退行から始まることは周知の事実です。この観点から見れば、学校教育の中で、正しい道徳心を育むことを放棄した何十年かのツケは大きいものですね。最近になって、心の教育が叫ばれてますが、正しい宗教心(新興宗教の類ではありません)=ものを大事にする、感謝の心、足ることを知るこころ、中庸のこころ、責任感をもつこと、社会の中で自分の役割は何かを見つけ出す力、その他さまざまな先人の歩みを、破壊することなく、受け継ぎ、いわゆる温故知新をひとつの合言葉に、実践していかなければ、ひとりひとりが襟を正さなければならない、ターニングポイントに日本は立たされているのではと思う毎日です。ここはボラの力を育む場なので、政治の話は控えますが、私たちの代表として、自衛隊が、生きるか死ぬかの場所に行くことにもなりました。闇雲に戦争反対の時代では済まず、正面から、具体的に戦争と平和を見なければいけない時代もやってきそうです。人の性なのか、戦争と平和を繰り返すことが、私たちの社会のリズムなのでしょうか。何故、人はやさしさと強さだけで生きてはいけないのでしょうか?争いが起き、欲望が渦巻く社会が何故生まれてしまうのでしょうか?謙虚さと素直さは、子供達だけに必要な言葉ではないはずです。。。
住みやすい社会、みなが笑顔の社会、地域で生きると抽象的な言葉だけでは、もう間に合わない。具体的に自分が何が出来るのか。分のためだけに生きるのもひとつ。自分をしっかりさせ余力があれば人のために人生を使うのもひとつ。自分のことはさておいて、他のために自分の持っているノウハウスキル、こころを使う生き方も一つ。どの生き方が正しいとは言い切れませんが、自分の頭で考えて具体的に生きて生きたいものです。
日本の国の構成員のひとりであることを忘れず、この国が希望に満ち、多くの良き後輩が育つことを祈りながら新しい年を迎えたいと思います。/熊川英輔