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ソウイウ者ニ私ハナリタイ

でくのぼうになりたい、
そう思ったのはいつのことだったろう。
☆ ☆ ☆
彼と初めて出会ったのは、小学校2年生の時、学芸会で上級生が演じていた『よだかの星』でした。いつもほかの鳥達に苛められ、虐げられるよだかが星になってしまう話です。自分が生きるために、餌となる昆虫を飲み込みながらよだかが心を痛めるシーンは、特に印象的でした。それから数年後、国語の教科書に掲載されていた『虔十公園林』で再び彼と出会い、彼の名が宮沢賢治であることを知りました。

賢治はその数ある作品の中で、いつも“でくのぼう”について語っていました。『虔十公園林』では、雨や風と会話をし、頭がよくないと言われた虔十を登場させ、虔十の死後、大学教授に「ああ全く誰が賢く、誰が賢くないかはわかりません」と語らせました。『どんぐりと山猫』では、一郎に「一番馬鹿で、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、一番偉い」と言わせています。そして『雨ニモマケズ』では、賢治の理想の人間像である“でくのぼう”が具体的に書かれています。“でくのぼう”とは「自分を忘れ、他人を思いやることのできる心をもった人だよ」と。

賢治は、“でくのぼう”たちが大勢集まった地域を、イーハトーヴと称して理想郷であるとしましたが、彼がこの世を去って70年が過ぎた今でも、イーハトーヴを見つけることは大変困難です。もしかしたらどこにもないのかもしれません。しかし賢治は、誰もが無欲で、他人の幸せを考え、怒らず争わず、笑顔を絶やさないことで、イーハトーヴはどこにでも生まれる可能性があることを示唆しています。もちろん私たちの住むさいたま市にも。

そして今、でくのぼうになりたくて、でもなれなかった私はボランティアをやっています。その風を吸うと誰もが元気になり、歌がうまくなれるという、賢治の愛した「ポランの広場」で。
賢治、きっと君が導いてくれたのですね。
山猫博士