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巻 頭 言 (FOR Young People)

 暑かった夏休みが終わりました。夏ポラン他様々な活動に参加くださったみなさん、お疲れ様でした。初めてボラに参加した人、久しぶりに来た人いかがでしたでしょうか?そして、いつも参加してくださっている皆さん、新しいメンバーへの指導、お疲れ様でした。今回の巻頭言は、もう一度基本に戻って、若い中学生、高校生向けの話をしたいと思います。
さて、中学生、高校生のみんなは、これから毎週土曜日の活動に参加して、続けることは難しい場合もあるかと思います。しかし、特定の場所に行かなくても、身近な場所でボラできる場合も多くあります。身の回りをよく見渡して、「ああ、こうしたらいいのに。」とか「あの人、少し困っているようだ。」とか、もし発見たら、少し勇気を振り絞って実行してみてくださいね(発見と勇気が大切!)。例えば、お年寄りとか、赤ちゃんをだっこしている人とか、松葉杖をついている人を電車やバスで見つけたときとか。これは一番よく出される例だけれども、この例だけではなく、人のために、自分が今できることをする---------。これが、ボラの第一の基本。そして、その時の少し気恥ずかしい、その場所にはずっといれない感覚、感触をずっと忘れずに(極端に言えば死ぬまで)いること(言葉を変えれば、初心を忘れないこと)も大切。

 例えばのその2。さっきの例は、道徳の時間とかでよく例に出されるものだけど、次の例は、「笑顔」のボランティア(昔の言葉に「和願愛語」=「和やかでで親しみやすい態度のこと」という言葉がありますが知っていますか?)。東京ディズニーランドに楽しいのは、そこにいるミッキーマウス始めスタッフみんなの笑顔が溢れているから、お客も笑顔になる。人を楽しい気分にしてくれるから。これは、ボランティア活動も同じ。特に人と接するボラをする場合では大事なこと。普段の学校では、ホントに机上の知識勉強が大半なので、なかなかこれの大切さを知るときはないかもしれないけど(いや、いつもここにくるみんなは笑顔がいっぱいか(^^0))。周りを穏やかな何ともいえない過ごしやすい空間にすること、できることは、平和な状態を作り出す最高のものです。言い換えると、人を知らず知らずのうちに幸せにしている「笑顔」のボランティアは、お金もかけず、場所も選ばないでできる最高のボランフィア。自分の内心が、少しとげとげしていたり、むしゃくしゃする時もあるかもしれないけど、そんな時こそ、「笑顔」をいっぱいいっぱい作ってみましょう。自分から簡単に発信できる簡単なボラ「笑顔」。他にもあるかもしれないです。自分で自分の長所を発見して実践してみてくださいね。

 さて、その3、「感謝」。感謝っていうのは、押しつけられたり、無理にするものではなく(そうしたら意味がない)、何かの出来事があった場合、本当に自分の心の底から「感」じて(感応、琴線に触れること)、そのことについて「謝」する(お礼を言う、ありがたく思う心を表す)こと-------。実は、これは、一番難しい。僕も体得できているかは、はなはだ疑問で、ここに書くのも悩んだけれども、この概念は大事なのでいれました。例えば、ご飯を食べる時に使う「いただきます!」というおまじない。これは、これから食べるお肉やお魚ご飯の「お命」をいただきます!から来ているようで、自分が生きていられるのは、他の生命の命をいただいているんだという日本古来の伝統から発している(キリスト教では、よく神様にお祈りをするけど、日本はちょっと違うよね〜。(ちなみにブータンは不明。。))。この手を合わせて、頭を下げて(礼)「いただきます」と言う簡単な儀式の中に、「感謝」のエッセンスが詰まっている。
また、お母さんがつくってくれる食事や洗濯、外で働いていて疲れて帰ってくるお父さん、みんなみんな見えないところでがんばっているんだけど、若いみんなには、見えるところでしか判断ができないもの。でも、少し考えて、このご飯が当たり前のように食べられるのは?っていうところに行けば、少しは感謝の体得に近づくかも。これは、いっぱい考えなければ発見できないもので、例の1や例の2のように一朝一夕(いっちょういっせき)には、身に付かない。何故なら、自分の目の前では見えないところに気づかないといけないから。ましてや、毎日当たり前のようになっていることがらではなおさら(自分の見えない部分を識ることはそれほど難しい。)。
「感謝」っていうのは、例えば、おこづかいをもらったとか、ノートの貸し借りをしたような時に感じるものではなく、本当は、こういった、目に見えないことがらに「気づき」、そのありがたさを識ることから始まるんだとね。そして、ここからが大事だけど、先輩のボラは、こういった感謝をされるためにボランティア活動をしているのではないということも知ってください。感謝はされるものではなく、するもの。これが、ボラをする場合のひとつの武器となります。

    さて、今回は3つの例を挙げました。
 みんなに共通することは、すべて、自分から発する「与える」心と力ということ。小さなちいさな自分から発信するということに意義があります。このちいさな「与える」心と力の発電機は、例1に挙げた、「気づく」こと、例2に挙げた周りを幸せな気持ちにすること、例3に挙げた「他者の見えない存在」を意識すること、そして何よりもみんなが善きこと「考える」ことから発信されます。まだまだ、小さきみなさんは、お父さんお母さん、先生その他先輩から、いろいろな善きものを「貰うこと」が多いかもしれませんが、それを糧にして、自らが発信源になるように、がんばってみてください。決して、援助交際に代表されるの「誰も困っていないからいいじゃん」とか、「ばれなきゃいいんだ」とか、「自分の気に入らないからヤツをいじめた(殺した)」とかという、自分勝手であったり、見えない部分を支えている人の努力を踏みにじったりするようなことは、ならないようにがんばりましょう。
  繰り返しになりますが、ボランティアは、何も特定の場所で、特定のことをするだけではないのです。自分の身近なところ、家、学校、バイト先で、上記のような観点で人と接することによっても達成されるものなのです。例えば、日本テレビの24時間「愛は地球を救う」という一年に一回のイベントも大切ではありますが、それを支える、普段の生活の中での「愛」こそが大切なことを理解して頂けると助かります。いかがでしょうか?
  今回の巻頭言は、少し観点を変えて書いてみました。皆さんのご意見をお待ちしています。/プロペラ代表  熊川英輔