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20年の歴史と、友博へ・・・
もりあや
20年…早いもんですね。
自分が二十歳の時はそんなに意識っていうのがなかったけれど、今回友博の二十歳に対しては、何だか色んな思いがあった。
昭和61年7月25日PM2:10。M家に2人目が誕生しました。
「次は男の子かも」っていう予想から、お腹の中に居る時は「けん太君」という名前をつけてて(うちのパピーがケンジだから〔汗〕ちなみに私がお腹に居る時は女の子と予想してたらしく、けん子ちゃんと呼ばれてたらしい)私にも、けん太君動いてるよーと教えてくれたりしてた(らしい。1歳だったので記憶はないです)
予想通り、男の子。候補の中から一番画数の良い名前、友博に決まりました。
小さい頃から丸くてとっても可愛くて、「何でともは可愛いのに綾子は可愛くないの?」ととんでもない質問を親にもしたくらい(汗
けれど可愛いと思った頃は既に知的障害と診断されていた。
もちろん私はチテキショウガイなんて5歳で分かるわけがない。
親からもともとはチテキショウガイ持ってるなんて今の今まで聞いたことがない。
でも、聞かなくても分かっていた。それが姉弟親子の意思疎通!?なのだろうか?
数年前の会報にも載せたが「弟話せるようになった?」と質問してくる先生や友達が居た。
「まだ」とまぎらわしていた園児の私が居た。園児でもその辺は理解していたようだ。
けれどそれが理由でともを隠すことはなかった。
小学校の授業参観、中学の保護者会、ありとあらゆるところに「ともを連れてきて!」といつも言っていた。
そして連れてきた時はやっぱり皆の目はそっちにいく。理解してくれる人、何も分からずポカンとする人、笑い出す人。さまざまだった。
けれど、全然痛くもかゆくもなかった。ただ、ともを見て、知的障害、とも自身のことを見て欲しい願望があったので、目がそっちに行くのは私にとって好都合だったんですよね。
小5の時に親子学級活動で、やっぱりとも連れて来いと言って連れてきた(こさせた?)時、クラスメイトの何人かが「森川さんの弟ちょー可愛い!!」と言われた時は「だろーーーー!」と浮かれながら「そう?」と冷静さを保ったこともあった(笑)
あとよくある宿題の日記にも、担任が変わる毎にともについての日記を書いていた。写真付きで(うぜー)
先生って大変だなぁ。
んで、ともの学校行事、もちろん殆ど参加していました。
最初は小学部の入学式から(早!)運動会、北養祭などは受験年以外は参加していたんではないだろうか?テントの下敷きになった過去も(笑)
なんでともの担任になった先生は全員私が分かるはず(ぉぃ そーいや小4の時の担任に私だけその辺で会った時も挨拶したわ(汗
そんなこんなでしつこさいっぱいのままお互いの学生生活が一緒に終わりました(ともは高卒、私は専門卒で時期は全く一緒)
現在はともはあげおで頑張っているが、私は一度社会人を挫折しました(汗
今年は再就職します!
ともにとって20年はどんな人生だったのかな?
姉のしつこさはいっぱいあったけれど、ちょっとでもともにとって幸せ感じてくれてたなら私は十分です!
こーいう子は感情を素直にあらわすので、本当に喜んでいる時は笑ってくれるので、それだけで私は幸せになれます。
この20年の間、私たちは近場へショッピングから2人でディズニーへ行ったりもしました(その時誘拐未遂が!)
この先は何をしようか?旅行?海外!?一度飛行機には乗せたいな。
と何でも体験させたがる私ですが、こんな姉をこれからも宜しくです。
と言っても一緒に暮らすのはあと1年ちょい。
でもちょくちょく実家には帰ってくるからたまには相手してねん♪