プロペラvol.7
・投稿特集 『家路』
・ハワイでのある一日
・投稿特集 Y.K.さんより
・投稿特集 『1/10のかのじょ』(詩)
・投稿特集 『HYMN』(詩)
・施設 グループ 紹介コーナー
・けいじばん
・投稿特集 『現在に存在していた櫃(アーク)について』
・11月12月活動報告
・盲社会人野球チーム「埼玉フレンズ」 キャプテン宮城さんからの手紙
・こんなボラも
・事務局からの連絡とお願い
・あとがき
家路N.Y.
誰もが疲れた眼差しを泳がせながら
急ぎ足で家路へ向かうタ暮れの街
どんなときにも輝きを失くさない
純粋な君のあの瞳を思い出す
あの日確かに感じた君との運命が
刹那じゃないことを信じたくて
少しは強い男になったはずだと
目に見えない成長を感じていたけど
思うように前に進めない心が
鳳に吹かれて揺れている
僕としてはいつだって
君を理解しているつもりでいた
めったに心を開くことのない
君へのもどかしさにすり替えながら
不匿かな絆を掴んだつもりでいた
華やかすぎる街の明かりを見ても
何故かしら目が痛まない
結局はよけいな鎧だけを身につけて
自惚れていただけかも知れない
僕が汚れはじめたことを告げるように
それぞれの人がそれぞれの世界の中で
それぞれの傷みを抱えて生きている
そんな人々がすれ違う人波にまぎれて
分け合えるものなんて何もなくて
君への熱い僕のこの想いが
何にも代えられないものだと気づく
ただひたすらに君を見つめ続けたい
決して忘れてしまうことのない
温もりに満ちた家路へ帰るように
ハワイでのある一日
S.S.
突然ですが、皆さんは「ビーチ用車椅子」(Beach Wheelchair)の存在をご存知ですか?日本では少なくとも私は見かけたことがありません。
私は今年の9月に行った、Y.Kさんとのハワイ旅行でこの「ビーチ用車椅子」を初めて利用しました。場所はワイキキから車で30分程の、ハナウマ湾。大変美しいことで有名で、日本人観光客も大 勢訪れています。
何ヶ月も前から水着を買って楽しみにしていたKさん。私は、何としてもKさんの願いを叶えたい、それもなるべくきれいな海で、と思っていました。ハナウマ湾は、以前は無料でしたが現在は魚類捕護区となり、地元の人以外は1日に$3かかります。ビーチまでは歩いても行けますが、丁度丘のようになっている所からかなり距雌のある、急な下りが続くので、往担$1.50の「らくらくシャトル」という乗り物があります。今年5月のハワイ滞在で「らくらくシャトル」に車椅子のスペースがあるのを知った私は、「Kさんとの海水浴はここしかない!」と決めていました。また、Kさんも以前お姉さんと来たことがあるらしく、楽しみにしていたようです。「らくらくシャトル」は、車椅子利用の人は無料です。私の分だけのお金を払い、バス乗り場に行くと、何やら看板が出ています。「Beach Wheelchair無料でお貸しします」さて、海岸へ着き、その「ビーチ用車椅子」なる物を借りてみると…。何と表現したらいいのでしょう、タイヤは固い風船みたい。砂の上でも、ふわふわと雲に乗っているみたいに動かすことが出来ます。そして、なんと巨大なパラソルをさす穴があり、京子さんはいったん座ると、快適なパラソルの日陰の下。もう、二人で大はしゃぎです。
「私、前に来た時はこんなのに乗らなかったよ一!!」(Kさん)
「私だって、はじめてだよ一!ふわふわしてるね!!」(S)
只、アメリカ人の体形に合わせて作られている為、座る部分がとても高い位置にあり、私一人ではとてもKさんを乗せることは出来ませんでした。念の為。海岸でしばらく日光浴をした後、いよいよ海水浴です。私はKさんをビーチマットの上に乗せたまま、ズズズーツと波打ち際まで引っ張っていきます。そして、Kさんに日本から持ってきた大きな大きな浮き輸をかぷってもらい、さあ、海へ!!いや、ちょっと待った。万が一ということもある…。私はライフガードのところまで走っていき、一人のお兄さんに下手な英語で言いました。「これから、ハンディのある女の子と一緒に海へ入るんだけど、万一のことが起こったら助けてね。」すると、お兄さんは快く「OK.OK.」また、このお兄さんが超カッコ良かったんですよ。ね一、Kさん!このライフガードのお兄さんは、私たちが海に入っている間、ずっと私たちの側にいてくれ、そして、海からあがる時もKさんを抱きかかえてビーチ用車椅子のところまで連れていってくれたのです。近くにいた女の子がうらやましそうに見ていたよね?私たちはビーチ用車椅子とこのお兄さんのおかげで、それはそれは楽しいひとときを過ごしました。
他にもたくさ一ん面白い、楽しいエピソードがあるのですが、とてもこの紙面には載せきれません。またその内、お話しする機会があるかもしれませんね。旅には、たくさんの宝物が詰まっています。この宝物たちに会いに、皆さんも旅の扉を開けてみてください。きっと何かが皆さんを待っているはずです。
<日程>
9月23日 21:00 UA826にてハワイヘ。同日午前9:00ホノルル到着
ボテルチェックイン後、ホノルル動物園へ。
9月24日 一日ショッピング。
9月25日 午前中、ハナウマ湾にて海水浴。午後サンセットディナークルーズ。
その後、タンタラスの丘より、夜景見物。
9月26日 11:10 UA821にて東京へ。
9月27日 13:00成田空港着。プロペラのK川さん、K藤さん、A田さんが迎えてくれる。
*ハワイでの移動は全てレンタカーを利用しました。
Y.K.さんより
私は、プロペラの会員に入って早いもので、2年が
過ぎました。いろいろな人たちに出会えて、
本当に、うれしく思っています。プロペラで、知り会った、Sさんと友達になり,
色々と私の心のささえに、なってくれました。
私の姉は、不明な病気で、何回かSさんと
お見舞いに行きましたが残念ながき,名前を呼んでも、
分かりません。病気になって10年以上になります。
そんな姉が元気だった頃は、布施さんのコンサートや
海外旅行は、いつもふたりで行きました。
私の大好きなハワイは、何回か行きましたが、
もう、あきらめて居ました。ところ今回ハワイに行ける事が
出来て本当に嬉しいかったです。
9月、23日から27日までホノルル空港からレンタカーで
Sさんの運転で走って行きましたが、街がすっかり
変わっていました高いビルが多く出きていて
私は大変驚き時の流れを感じました。私がとっても
おかしっかたのは、動物園でチンパジーを怒らせて
しまって、おもしろかった私です。それにサンセットグールスに
乗りました所カクテルを頼んだらアルコールが入って、
いませんでした。子供に見られたらしくて笑ってしまいました。
それに浜辺に居たら、アメリカ人に私が15才に見られて
恥ずかしいです。そして、Sさんの友達には、20代に見られました。
楽しい思い出ぱかりでした。Sさんの
友達の家に遊ぴに行きお食事をしたり、車で夜景を見に行ったりして、
Sさんと安心てし行けた事を心から、感謝して居ます。
私は、いつも感じる事がある、日本人と外国人のちがいは、
身体障害者を見る日本人は、白い目で見る人
がときどき居ますが、外国人とくにアメリカ人は、
そんな事は、ありません。普通の人と同じに見てる感じがします。
私が大切にしたい事は、人を信じる事と人を愛する事です。
1/10のかのじょ
M.M.
もし好きな人が
1/10の体になったらどうする
やっぱりこまる
でもいっしょうまもりたいとも思う
どこに行くにもいっしょ
ポケットに入れて
どこでもつれていく
のぞむことなら
できるかぎりやって
いつかふつうの体になるまで
いいやふつうになっても
ずっと守る
しんぱい事がひとつ
それは
ねがいりをうって
つぶさないか
だいじょうぷか
君のことを思っていれば
ねがえりもうたないね
HYMN
K.T.
いと確かな胎で
交された約束は
自漬のイコン
死ぬために生まれ
数限りない境界をこえ
無数の名をもつものの
隈りあるひとつのかたちとして
テーゼは不要だ
我等は生きることを
求められているのではない
自死した者を語る必要はない
そのものの口に触れることは出来ない
無限を明かすことは出来ないのだから
ささやかなものたちを讃えるつもりはない
終わったのでなく
ただ過ぎてきただけのことだ
口にするより・前に消えてゆく言葉があるだろう
いつまでもこの耳を
離れない言葉がある
施設 グループ 紹介コーナー
大宮あゆむ会 心身障害者デイケア施設 歩歩舎
デイケア施設、歩歩舎のはじまり
歩歩合は大宮あゆむ会が運営しています。
大宮あゆむ会は、昭和50年、重度肢体不自由児・者の親たちにより発足しました。当事は重度の障害者たちが行く学校や保育園はなく、自宅にこもったままの生活を余儀なく
されていました。そんな生活から外に飛ぴ出し、お互いに励ましあうことが会を結成する最初の目的でした。親たちはボランティアの力を借りて、子どもと一緒の「集まり」を重ねました。それはとても楽しいことで、楽しさはみんなに勇気を与え、それを支援してくださる輪もどんどん広がりました、お母さんたちのコーラス、自分たちで開設した保育園、日曜学佼、雪の冒険学校、運動会、ファミリーキャンプ、等々すぱらしい活動をしました。むろんそこには絶えることないボランティアの支えがありました。
そういう中で、大宮市内に、どんな障害があっても行くことのできる保育園と学校が開設ざれました。
あゆむ会の活動はますます高まっていきました。が、子どもたちの成長と共に、今度は学校を出た子どもの「進路」を考えねぱならなくなりました。そこで生まれたのが当時「年長児ケア」と呼んだ養護学校を卒業した人たちが通所する機会です。場所は大宮市から借用していた現在の歩歩舎で行いましたが、7年目の昭和63年に埼玉県や大宮市の援助を受け、正式に「歩歩舎」のあゆみが始まりました。
ボランティア存在の意味
歩歩舎の通所者(利用者)は現在17名、専従の生活指導貝は6名です。
「年長児ケア」当時と同様に歩歩舎は障害を持つ人たちの社会参加の場です。生活訓練をはじめ、運動や作業、音楽も陶芸も行います。毎週のプログラムに組まれたこれらの活動は、障害の程度に関わりなく行うことにしています。その為にはより多くの介助の手を必要とします。同時にいろいろな「顔」を持った人たちとの出会いもみんなが望んでい。す、ボランティアは「手」として必要なことは言うまでもありませんが、私たちは、ボランティアが社会生活になくてはならない隣人であり共に生きる人だと思っています。
歩歩舎のボランテイア
運転ボランティア 3名 2台運行の送迎車、内1台を3名が1日交替で朝夕運転
介助ポランティア 15名 10時から15時まで専従指導員と一緒に行動
プールボランティア 3名 初夏より秋にかけて障害者交流センタープールに同行
行事ボランティア 旅行やバザーのとき主にボランティアグルーブに依煩
けいじばん
ボランティア募集
病院外来ボランティア
県立ガンセンターでは、平成10年4月より、外来ボランティアを導入することになり、ボランティアをぼしゅうします。
・内容・・・受付案内・病院内の案内 病棟へのポーター・待ち時間の相手(事前研修あり)
[申し込み]大宮市社会福祉協議会
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緑のふるさと協力隊
・内容・・・森林整備活動 村おこし活動
・期間・・・平成10年4月〜平成11年3月
・応募資格・・・18才〜45才で全期間参加できる男女
・募集人数・・・25名[申し込み・問い合わせ]地球緑化センター 緑のふるさと協力隊
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世田谷区教育委員会講師派遣事業
18時セミナー ’97「民主主義ってなぁに?」
<第5回>「個人が育つまで -家庭・学校・社会における民主主義」
講師:芹沢俊介氏
1998年1月11日(日)14:00〜
<第6回>「トーク・トーク ‐生活の場における民主主義」
1998年2月11日(祝)14:00〜
-会場- 北沢タウンホール11F(下北沢駅徒歩約7分)
お知らせ
・市民学級公開講座
1998年1月28日(水)午後 「人とのかかわり方」ひがメンタルクリニック院長 ひがちか氏 [問い合わせ]竹とんぼ
・アトリエゆう
1998年1月15日(木) 「不登校から生まれたこと」 フリースクール コスモ主宰 佐藤洋作氏 [問い合わせ]アトリエゆう
・ふれあい交流パーティー
視覚障害の方とボランティアが会食、ゲーム、カラオケなどで楽しく交流します。
1998年2月21日(土)17:00〜 参加費 2500円
・ボランティアのつどい
1998年2月8日(日) 詳細未定 [問い合わせ]大宮社会福祉協議会
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『サニーのおねがい 地雷でなく花をください』自由国民社
絵・葉 祥明 文・柳瀬房子 1529円
戦争が終わっても地雷の被害に苦しむ人々や動物たち。こんなおそろしい対人地雷は、早く取りのぞかなくてはなりません。この絵本の収益はすべてこの地雷除去への費用に使われています。あなたもわたしもできるお手伝い・・・
現在に存在していた櫃(アーク)についてA.T.
#1 櫃(アーク)とは
聖遺物として最大にして最終の童要な『裁きの箱』ユダヤの神ヤーウェ自ら刻印された十戒の律法の石板をおきめた聖なる樋。
#2栖(アーク)の誕生
紀元前1300年、エジブト王ラムセスニ世の時、エジプトの労働力として多くのヘブライ部族のユダヤ人が補囚の奴隷としてい危向ユダヤ人は多くの子を生み強くたくまし
い労働人口として増え続けたが、国中にあまりに多くなったユタヤの民をラムセスニ世は、もし他国が攻めてきた時、補囚のユダヤ人が主敵1こ味方することを恐れ、ユダヤ人が子を生んだ時、男なら、すぐに息を止め、女なら、労役させる、という政策を打ちたてた。ある日、男を生みおとしだユダヤ人が、子を殺すことが出来ず、ナイル川の岸に行き籠の中に子を入れ放った。その籠を王家の姫が拾い、男の子は王家の子として育てられた。その男子の名はモーセ。後に、モーセは自分がユダヤ人であることを知り、民を補囚から救い出し、その者だち供に出エジプトする。モーセたちは神が指し示す「乳と蜜」が溢れる地「カナン」を目指し旅を始めた。彼らは道なき道を歩いた。月日が経つにつれ、移動しては夜営をする旅に民の心は、次第にモーセから離れていった。。そんな時、山に光が満ち、神は石壁に十の戒めを刻印して石板として人々の守るべき律法を示した。こうしてユダヤの民は神ヤーウェのみを崇拝する契約を緒び、神から選ばれし艮族となった。この石板は、自堕落な悦楽に身をまかせていた人間を光で撃ち地を割って地の底へ落とした、という。この聖なる石板は・アカシアの末を使った・外は責金・蓋にはケルビル(知天便)の彫刻が飾られた樋の中に収められだ。それが、櫃(アーク)
である。
#3 櫃(アーク)の力
「カナン」の地を求めて旅を民は80万人に増えていっだ。ただ街を通るだけでも80万人に増えたユダヤの民を通す事は、他国にとって、ままならなかった。そこで、入城を断る国とユダヤの民との間に戦闘がおこったとき、聖なる櫃は蓋が開かれ、現在だ人類の誰も知らない兵器のような破壊を示す力で街中のすべてを炎で焼いた、といわれている。
ヨルダンの彼方に「カナン」を見つけたユダヤの民はイスラエルを建国した。しかし、イスラエルに腰を下ろしたユダヤの民にはベリシテという宿敵がいた。ある戦いでペリ
シテは櫃(アーク)を奪い去り、ベリシテの神殿に櫃(アーク)を運び込んだが、櫃(アーク)は、たちまち炎をもたらしペリシチの偶像ダゴン神を粉々に壌した、という。
また、櫃(アーク)はベリシテの民に、腫れ物の災いを与え、多くの死をもたらした。
この後、櫃(アーク)は、すみやかに退された。
その後、長い年月を経て櫃(アーク)の存在は不明となり・現在にいたる。また、櫃(アーク)の余談として、かの有名なナチ党、党首アドルフ・ヒットラーも櫃(アーク)の破壊力に魅世られ探し求めていた、という。
#4櫃(アーク)の行方
先に述べたとおり櫃(アーク)は、闇へと消えた自しかし・ここ墨近・合までの学説を覆す信じ難い事実が発覚した。枢(アーク)は・ある日本人カ1所有している・という説
である、その櫃(アーク)のカを見た、という何人かの証言によると「いきなり、カバンから小さくなったミカンが出てきた。」また、「なんか、食べかけのリンゴが出てき
た。」という。これは、私が考察するに小さくなったミカンはバイオテクノロジー(遺伝操作)の危険性を提示しているもので、リンゴは、人類の起源であるアダムとイヴが
かじった知恵の実である、と思われる。櫃(アーク)から、それらが出てきた時、人々は「何故?こんなものが…」と、驚嘆の声を上げ、ある者は恐怖し、またある者はき跪き、手を組んだという。この櫃(アーク)を持つ神より選ばれしモーセの名は、K.E.。しかも、この新しく神より選ぱれし者は、すでにカナン(事務所と呼ばれしもの)を見つけている、との事。この興味深い事実に、神より選ばれしものとのコンタクトを強く願った。そして、それは実現した。モーセがいうには、「最近・事務所(カナン)を、どう使おうか悩んでる。」とのこと、これには、ユダヤ系民族の知恵が必要であるらしい。私はこの神より選ぱれし者の今後の活動を期特したい、と思う。
なお、この数々の櫃(アーク)の奇跡について闇きたい人は、モーセ(K.E.)まだは、荘子(M.Y.)、楊貴妃(K.K.)に聞くとよい。終劇
11月12月活動報告
秋色紀行 わたらせ渓谷の旅
車いすのk子さん、k志さんと一緒に紅葉狩りへ。ボラも11名集まり、にぎやかな旅となりました。
現地では、富弘美術館で詩画を見てから、国民宿舎サンレイク草木にて昼食・休憩、お風呂にも入りました。
今度は、ゆっくりと泊りがけで行きたいものです。
来年、ビデオ上映会を予定していますので、みなさん見に来てください。
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クリスマス会
プロペラ・ポランの広場・楽しく歩く会でのクリスマス会がありました。
りえさんやリスたちも参加してくれました。歩く会の子ども達に欠席が多く出て残念でした。
内容は、”歌・ゲーム・音楽鑑賞(オカリナ・バイオリン)・劇(幸福な王子)・昼食会”でした。
子ども達にはくつ下に入れたクッキーをプレゼントしました。(会場:障害者交流センター)
☆☆☆感想・反省☆☆☆
子供・・・楽しかった、みんなとご飯を食べられてよかった、全部よかった
.親・・・ご招待頂いて楽し<てよかった、去年から念願のクリスマス会に参加できてとても楽しい1日が過ごせました、もう少し子供と接してほしい、よく見てくれている感謝してい、・初めは落ち着かなかったけどゲームは楽しめたようだ、歩く会の皆さんへありがとうございました
ポランティア・・・いろいろ作るものがあって大変だったけど楽しんでました。誉められて嬉しかった、事前の打ち合わせが足りなかった、よ<出来たと思います、いつものポランと違った雰囲気で子供たちも楽しそうでよかった。、なかなか準備ができずに、いろいろな人に迷惑をかけてしまったけど、とても楽しかったし、喜んでもらえて嬉しかった、面白かった、・もっと子供たち自身から動けるようなものを企画したい
盲社会人野球チーム「埼玉フレンズ」キャプテン宮城さんからの手紙
11月30日(日)、浦和にある盲社会人野球チーム「埼玉フレンズ」の有志メンバーは、日ごろ交流のあるボランティアグループ「プロペラ」の皆さんと親睦を兼ねて体験練習を
行いました。当日、午前中は雨のためグランド使用が難しいと思われましたが、日頃の行いのよい方がそろっているようで、午後には天気が回復しました。
ハンドボールを用い、地面に転がしたそのボールを硬式用のバットで打ったり、アイマスクをしてころがるボールを止める動作などみなさん初めての体験で戸惑っていましたが、慣れてきた後半は野球部メンバー顔負けのプレーが随所に見られるようになり驚きの連続でした。
障害者と健常者が共にプレーするという初めての試みでしたがなごやかな雰囲気で楽しい時間を過ごすことができました。
こんなボラも
11月2日に歩歩舎でバザーがありました。
手作りのサツマイモや日用品、本など、いろいろな物が売られていました。午前中は少し肌寒かったけれど、いいお天気でバザー日和だったのではないかと思います。お客さんも思った以上にたくさん来てくれて、仲には始まる前からはりきって列をなして並び、バザー開始を楽しみに待っている人達もいて、売る側の私たちもはりきってやることができました。このバザーは、障害をもった子供の父兄を中心に行われたので、売り場ではそういった方達と一緒に仕事をしました。合間にお子さんのことや、将来の不安などをお話して下さったり、お子さんに実際に会わせてくださり、大変貴重な経験をさせていただきました。T.M.
事務局からの連絡とお願い
今年もあと少しです。少しづつ事務局の体制も整ってきていますが、まだまだ一部の人にお世話になりっぱなしなのが現状です。グループの維持運営に関する事務的な仕事は、なるべく広く浅く多くの人に手伝ってほしいと思っています。そこで、今回は手薄なところを中心に募集したいと思います。
1.前回募集した「Iさんの歌集つくり」について
○wp打ちを申し出てくださった方ありがとうございました。徐々に打ち込みが進行していますこ今,1/4位の量をお願いしています。大体1月15日頃までに入カができればと考えております。まだ人手不足の状況です。
○現在の大まかなスケジュールは次のとおりです。
12月中 出版協力のお願いを各団体に出す。
1月中 原稿wp打ち&レイアウト等打ち合わせ。
2月中 本の装丁等を決定する。
3月中 出版予定(発表会も検討中)
2.この会報誌のお手伝いについて
この会報誌は、年6回の発行を予定しています。プロペラだけの紙面ではなく、ボランティアをしたいと思う人、あまり外に出かける機会のない障害者の人が楽しめる紙面にしたいと思っています。大宮市にはそのような雑誌がないようですから。この機関紙の企画、制作をしたいと思っている人はお手伝いください。そして、紙面を充実させましょう。
pか
3.事務を執ってくれる人の募集(若干名)
活動するにあたって、いろいろな書類が舞い込みます。その整理をしてくれる人を探してしています。
月に1〜2回各2時間くらいです。このままだと書類に埋もれてしまうかもしれない。
4.賛助会員の募集
プロベラの活動を資金面から援助してくださる方を募集しています。まだまだ未熟なグループでですが、ご協力をお願いします(一口1000円です)。
5.その他の募集
○活動のリーダー(若干名)
ポランの広場、楽しく歩く会、マザーランドの活動を来年一年間中心的にやってくださる方を探しています。
○不要品の提供について
12月14日(日)にリサイクルマーケットに参加しました。売り上げ\32,135-でした。ご協カありがとうございました。大切につかわさせていただきます。
次回の予定は、来年の3月です。家に眠っている不要品がありましたらお譲りください。限りある資源を上手にそして大切に使いたいので、ご協力をお願いします。
○定例会兼新年会を来年1月4日(にt)13:00から行います。来年一年間の年間計画等について話をしたいと思いますので、参加してください。よろしくお願いします。
以上です。
会員の心得
一つ、互いに素直さと謙虚な姿勢を保つようにしましょう。
一つ、相手の立場を常に尊重し、互いに尊敬しあいましょう。
一つ、約束を守りましょう。
一つ、常に学習と体験を重ね、成長し続けましょう。
一つ、初心を忘れずに。
すぐに実行するのは難しいかもしれませんが、いつまでも忘れずに常に心の中にとどめておくようにしましょう。心優しき人でいっぱいにしたいですね。
あとがき
今年もあとわずかとなりました。何かと忙しい中、たくさんの方から投稿と編集のお手伝いをいただきありがとうございました。来年はもっと楽しく、すてきな機関紙を作っていきたいと思っています。どうぞよろしく。では、よいお年をお迎えください。(M)
一年365日の積み重ねによって「今」の時があるのですが、本当に「今」を大切に生きているかと尋ねられると自信を持った回答を言えるか自信がありません。みなさんはどうですか?(K)
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