プロペラvol.12<1999/1,2月号>

はじめに
Happy Christmas
アメリカにいって
デリバリーサンタ
デイケア『さんご』
ポランの広場から。
「知的障害者の暮らしを考える集い」のこと
事務局から
私の大学生活
はじめに代表 熊川英輔
 「自然との共存」「循環型社会への転換」が叫ばれています。大自然の恵みを奪いつづけていた反省から導き出された現在の結論ですが、今回はこれらについて少し考えたいと思います。
 まず、「自然との共存」ですが、この言葉を聞いて、皆様はどうお考えになるでしょうか。人間は自然なしに生きてはいけないから共に生存することが必要だ。これは、当然の理であります。私達は、水や空気、緑、その他動植物から微生物に至るまで存在するすべてのものによって生かされています。それらの要素のどれが欠けても生きていくことはできません。さて、それでは人間は白然界からものを搾取(奪う)だけの存在なのでしょうか?ここがポイントになります。自然界に身を置いているものは、一般的に持ちつ持たれつの関係、即ち循環の環ができています。人間は、その自然界のルールから一線を画しています。その自然から一線を画した存在である私達が、管理、コントロールの 不可能な自然と共存するとはどういうことかを、今一度深くそして真剣に考える時期に来ているのかもしれません。「私達は、自然に何のお返しができるのか」という設問でもいいでしょう。何度も繰り返すように私達の住む場所はこの地球しかないのですから。

 次に、「循環型杜会への転換」です。自然界は循環型のサイクルをとっています。人間杜会も同様に循環型の杜会を構築すれぱ、持続可能な発展杜会を創り出せるのではないかということからきています。人間社会内のリサイクルを中心にした社会生活です。しかし、忘れていけないのは、私達はリサイクルの範囲内だけで生きていけるわけではないのです。先に述べた自然界の恩恵を受けて生かされています。とするなら、出きるだけ奪う範囲を少なくすることもこの理論には入っています。無駄をなくす、不要なものを購入しない等があげられます。皆様はどのように毎目を生活されていますか。

 さて、これら自然環境間題のほかに、「自立と共存共栄」が国際社会の中で共通の認識としてあります。これは、依存からの脱却を目指すものです。  地域杜会においても同様です。「白立と共生」がキーワードになります。
 自立するためには、自らの責任と義務を果たなけれぱなりません。社会に対し権利を主張する(奪う)なら、義務と責任とを果たす(お返し)することが必要になります。それなしには、バランスのよい社会とはいえないでしょう。
 勿論、どのようなバランスを取るかは各白の賢明な判断力が必要となります。これも繰り返すように、杜会は個々人の集合体で成り立っているのですから。  総じて、これらのテーマのべースにあるのは、各人の目々の暮らしにあるのかもしれません。自分自身を知り、自分が何を求め、何を還元できるのか。一人一人が回答を持っているのです。皆様はどうですか。

Happy Christmas
1998年12月20日、ポランの広揚とプロペラのクリスマス会が行われました。ポランの広揚以外にも、「楽しく歩く会」や北養護学校の親子なども、多数参加していただきました。親子、ボランティア合わせて約200名ほどの集まりになり、例年になくにきやかなクリスマス会となりました。
内容については大宮ヘルシーバンドクアハウスと、大宮マンドリンクラプによるライヴがあり、プロペラ歌劇団によるブレーメンの音楽隊風のオリジナルの劇などが行われ、子どもも大人も楽しめたようでした。
事前準傭のつかれも一気に吹き飛ぶ盛り上がりでした。さて、みなさんはどんなクリスマスをお過ごしになりましたか。

アメリカにいって

 12月7日(月)から14ひ(月)までアメリカのオハイオ州コロンバス市へ行ってきました。
 目的は、あちらのボランティア活動の実際を見るためです。
 お世話になったのは、ファーストリンクというNP0(非営利団体)です。ここは、ボラの斡旋とそのトレーニングを辛な事業としています。日本の社協に似た役割をしています。もちろん、社協は行政の一端としてやっていますが、ファーストリンクは非営利団体です。また、社協の守備範囲は福祉ですが、ファーストリンクは地域杜会全般の問題に関わります。また、驚いたことに、フ・一ストリンクのスタッフは、所長をはじめ職員がすべて女性でした。
 さて、このファーストリンクの案内によって、様々なボランティア活動を見てきました。市立博物館(Center of Science and Industry)における高校生の見学ガイド、動物園の飼育ボラ、中学校における障害児との交流ポラ(ポランの広場と同じ)、障害者入所施設におけるポラ、ショッピングモールにおける包装ポラ、大学周辺における非行少年更正の為のカウンセリングポラ、低所得ファミリーの為に家を建てるポラ等です。いろいろ考えるところがありました。中学生からリタイアした夫婦までの年代がボランティアをしていました。家族、学校、社会のすべてがポランティアを当たり前のように(システムとして)取り入れていると感じました。
 例えば、小学生の時は、自分が100m走ったら1ドル貰うという約束をして(20ドルなら2km)、その集めたお金を寄付するということをするそうです。自分ができることを探して実行します。中学生になると学校のプログラムとして社会奉仕活動が組み込まれます。高校生になるとより実践的な活動となります。現在のアメリカ社会の中で、所得が低く家を持てない人の為に廉価(実費のみ)で家を作ってしまうという政策があり、高校生が先生の指導のもと作っています。また、アメリカでは、学校に行かず家庭で学習するという制度もあり、その子は前述の市立博物館(cosi)にて活動していました。
帰国後の感想ですが、アメリカの広さ(面積だけでなくその精神面、社会システム面)に圧倒され、消化しきれていない面もあります。訪米前はアメリカという国は、キリスト教の土壌があるからポランティア活動が活発かつ組織だっておこなわれているのだと単純に思っていました。しかし、実際に見てみると一概にそうは言えないようです。うまく言えませんが、もっと社会制度そのものがポランティアなくしては成り立たないようにできているようです。「小さな政府」を目指しているからともいえるのでしょうか。 また・行政は民衆、民間の手助けをするというポジショニングから来るのでしょうか。日本の福祉政策であれば、まず行政が税金を集め、音頭をとって(主体となって)実行していきます。アメリカでは民間が社会において不足している点を見つけ(主体的に)、自分たちでできることは自分たちでします。必要であれば行政その他のところからお金を集めます。あくまでも自分達がその社会をつくっている‐行政任せでなく、依存的でなく自立して‐というところが原点のような気がしました。アメリカ建国の精神に通じるところがあるようです。
 日本がアメリカのボラシステムをそのまま取りいれるのは難しいとしても参考になる点が多くとても良い研修でした。
*詳しい資料は事務所にあります。連絡ください。但し、英文です。
*ファーストリンクのスタッフは、今年の夏に日本に来る予定です。希望があれば交流を持つことも可能です。
*ホームステイもしました。食事は、チキンが中心、最近ビーフはあまり食べないとのこと、家の規模は日本と比較してはいけない!!!
*街中は、クりスマス一色でした。日本のイルミネーションがおもちゃに見えて困ります。クリスマスツリーもみんな立派でした。クリスマスセール中で事もありました。 *クリスマスグッズといえば日本はサンタが中心、あちらは、聖書にまつわる(生誕の馬小屋の場面)や天使達、ディズニーグッズなどとてもとてもたくさんの種類がありました。

デリバリーサンタ
12月24日。川口の<デリバリーサンタ>に参加してきました。当日は夕方5時30分頃、サンタの国を出発し、2,3時間ほどでなにごともなく無事もどりました。ぼくは魔法をかけられソリになったので、あいにく子供たちの笑顔をみることはできませんでしたが、サンタとトナカイの竃びにあふれた表惰から、突然のサンタの登場にびっくりして目を丸くした子、飛ぴあがってはしゃぐ子らの姿をありありと想像することができました。それはきっど、この日のために準備をすすめてきた小人たちもおなじ思いだったとおも います。
さて、上の写真のなかにいる本物のサンタさんは誰でしょう?それは川口の市長さんだという噂がありますが、さて、真相はいかに? ☆惰眠する王子☆

心身障害者デイケア施設 ともに生きる『さんご』
*そんじょそこらに無い商品を売っています。
*喫茶「さんご」では おいしい飲み物と最高の笑顔があなたを待っています。
*企業からちょっと難しく、責任いっぱいの、だから面白い、そんな仕事を請け負って、みんなで頑張っています。
浦和市曲本3-7-29
ボランティア募集中!

ポランの広場から。

施設見学に行ってきました。

こころみ学園
施説見学というよりはワイン祭りで楽しんできました。先生の案内で、秋のおだやかな一日を山でのんぴり。ワイン片手に素敵な音楽が山中に流れ、しばし「自然て、すぱらしいな〜。」と、浸っていました。
12月12日には、ふれあい福祉センターで、こころみ学園園長の川田先生のお話も聞き、その生い立ち貧しく育ち、読み書きも遅れがち、今ならさしづめ特学だろうとの事、子どものころ母親から、勉強はできなくても、仕事ができるから百姓をすれぱよいと、勉強の事には全く頓着されなかった。先生が非難するような子どもでも母親だけは暖かく受けとめてくれたとの話。戦争での体験を経て粘り強く、ぶどう遣造りに取り組んできた。今では障害を持った者達が、親を招待して、アメリカぷどう収穫の旅をするまでになった。(アメリカカリフォルニアにもぷどう畑を持つ。)
21世紀には、ばかじゃないかといわれつつ山仕事をこつこつと積み上げた成果が表われ、世に認めめられるようになるだろうと…。
足利の山ふところにある"こころみ学園"俗世間とかけ離れた感のある、地に足をつけた作業をし、人も自然の一部なのだと感じさせてくれる所。又、大勢で見学に行きたいものです。N

「知的障害者の暮らしを考える集い」のこと
第二回の集いの後、実行委員のお母さん達が集まって打ち合わせを持った(第一回実行委員会)。現状に不安を持ち、このままではいけないという思いが、しっかりとした言葉にならず迷路に迷い込んだときであった。現状はだめ。では理想の姿は?と間われるとなかなか形にならない。暮らし(生活)という大きなテーマだからかもしれない。一般的に物事は、現状の課題→理想→理想に近づく手段の選択→実行→検証という手煩を踏まえて進んでいく。当事者(お母さん方)に理想がなけれぱ、手を貸すほうも貸しようがない。行政が作った紙に書いた解決策を単に受け入れるのであれぱ別であるが。また、「集い」は学校の研究ではなく、現在の間題に対して実際に解決をしなければならないのだから実践が必要になる。タイムスケジュールも作成しなけれぱならない。やらなけれぱならないことはたくさんある。
 という感想を第2回の集いの後自分自身持ちながら、第一回の実行委員会(平成10年11月26目(木)10:00〜12:00に参加した。お母さん達な7名であった。ひとりひとりがどうしたいのか。何を望んでいるのかをそれぞれ出した。「一番大きな理想としては、どんなに障害が重くても、普通の人間の生活をさせたい。楽しいことがあったり、大変なことがあったり、いろいろな人と関わりを持ちながら毎日の生活に多少の変化と潤いを持たせたい。それが人間らしい生活なのだと思う。(従って自分の子どもは障害は持っているがそのような生活ができる環境整備をしたい。)そのためには、将来大人になった時の働く場所、授産施設、更正施設(昼間の場所)や休みの時、帰宅後のすごし方のこと、更には親亡き後の生活の場(入所施設やグループホーム)等長期的な視野に立った見方が必要。そして、学童、レスパイト、作業所等のハードも必要だが何よりもそれを支えてくれる人が大切である。その人づくりならすぐにでもできる。」
「行政が作った体系ではなくて、自分達が考える理想(全体像)を作るのもいいのではないか。」
「障害児を持った親同士なのだから、共通点があるはず。そして活発な活動するのは親である。集まりを持つ時にその他の人の知恵を出してもらい、常にアッピールしていけばいい。軌道修正はいくらでもできる。」
 これらの意見がでた。勿論一部である。少しづつ思いが形になってきているように感じられる。
 さて、自分であるがどのような関わり方が望ましいのか悩みながら参加している。とりあえず今回は仕事で培ったノウハウをもとにまとめ役をしたが…。とりあえず、第三回目の集いが平成11年1月22目(金)にある。希望者は是非参加してほしい。お母さん達が何を考えているか、何を悩んでいるかわかるから。とりあえず、次回の集いでお母さん達の理想ととりあえずやらなけれぱいけない課題が話せれば良いと思う。(以下次号)

事務局から
○平成11年1月16日(土)に定例会を実施します。テーマは、一年間の活動計画についてです。場所は、ふれあい福祉センターを予定。同封のアンケートについては、1月9目(土)を締め切りですが、それらを踏まえ計画をたてます。今までなんとなくやっていたことも、できることとできないことをしっかり切り分け活動していきますのでそのつもりで参加ください。宜しくお願いします。
○大宮市ふれあい基金の援助を得て、フィルムスキャナー(コピー用)を購入することができました。これにより会の活動の幅も出てきます。これからますますがんぱりたいと思います。
○この機関紙で取り上げてほしい内容、この機関紙に対する意見がありましたら、郵便もしくはポムペジにお寄せください。まっています。
○事務所をレスパイトの場所にという話があります。昼間遊んでいる場所なのでよいかと思ったりもしていますがどうでしょうか。
○ポランの広場の通常活動の参加者が少なくて困っています。ボラが4-5名なのに子どもは二桁いたりして。通常活動こそ私達の活動の原点です。これがおろそかになってはいけません。忙しいとは思いますが参加をしてください(新しい場所の地図を折り込んでいます。)。
○パソコン通信による情報伝達を計画しています。現在emai1アドレスを持っているボラも増えてきているので実現の可能性について検討中です。
○今年からポランのお母さん達とボラの交流を進めるために「お母さんと語ろう会(仮称)」を計画しています。月いちポランの前を予定。
○1999年にとうとうなってしまいました。遠い未来と思っていた21世紀もすぐそこですね。荒れ果てたこの時代に生まれたのを喜ぶべきか悲しむべきかを少し考えつつも、未来に一筋の希望を持って今年も過ごせればと思います。

私の大学生活
こんにちは。このコーナーをはじめてから今度で3回目となりました。始めた当初はきっと1回で打ち切りだろうと気楽に考えていたのですが、どうやらこれはシリーズもの だったらしい…。この前のクリスマス会の時に片付けも終わったことだし後は帰るだけってときに、Hさんに腕をぐっとつかまれて"原稿は?"と言われて思わず素知らぬ顔を しそうになってしまいました。なぜか?なんてヤボなことを聞くような人はもうまわりにいなくなってしまったのであまり繰り返したくないのですが、私は今、過去に思い描いていた、バラ色の大学生活とかけ離れた、灰色の体育会剣道部生活をおくっていて一般の女子大生のような華やかさがちりのかけらさえないのです。まーそれはそれでこの頃はそれも一風変わった人生でいいんじゃないかなー、って思うようにもなってきたので、もし、おヒマでしたら、私の他愛もない話にアナタの貴重な時間を少しだけ割いて目を通してやってくださいませ。
今回はちょっと剣道部の活動について触れてみようとおもいます。
私は先日、とある大会と定期戦に参加するために、京都まで行ってきました。冬の京都はウワサで闘いていたよりも寒さは厳しくなく、ちょっとした、観光日和だったので自由時間を利用して、京都めぐりもしてきました。(とはいうものの、花より団子で、ほとんどうまいものめぐりに尽きてしまったような気がしないでもないのですが…。)ま、そんなことはさておき、本題に戻ります。とある大会と先程申したものは、俗にいう“オールミッションと呼ばれるもので、全国キリスト教関係の大学が集まって大会を通じて親睦をふかめようっていう、いかにも体育会らしい行事なんです。だけど、大会と名がつく以上、やっぱり空気は緊迫していて、私は柄にもなくく緊張してしまいました。(変に思う人もいるかもしれませんが、私はその緊張感が好きだったりする…。)京都在住のOBのかたも応援にかけつけてくれたおかげもあってか、結果としてはベスト8ということでまずまずの成績だったかなと自分では満足しています。次の日には、同立定期戦という、いわゆるひとつの、司志社と立教大学が定期的に試合をするというだけの行事に参加しました。定期戦は何も問題なく無事に終わったのですが、その後の“懇親会”ってやつが曲者でした。それは思い出したくもない激しさのみ印象に残るとんでもない飲み会で、幾人もの人がグロッキーになり、廃人と化していました。私はもともとお酒があまり好きではないので、近くにソフトドリンクの姿を求めてみましたが、見えるは“炭駿いりの麦茶”のみで逃げることは許されないのだと悟りました。案の定、私は飲まされました。なんだかにがいばっかりでぜ一んぜん美味しくなかったし、宴会だからとかこつけてセクハラっ@ぽいのはいるわで、それはそれは大変でした。
それは、お酒はひかえめにね、っということを学んだ旅のお話でした。By T澤

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