プロペラvol.19<2000/3,4月号>

知的障害を持った子どもたちとともに
白銀は招くよ〜♪ 苗場スキー場日記
お餅を食べて今年も元気!
無題
「フィールドワークのススメ」
川口太陽を見学しての感想
手話で話そう!!
『みんなのねがい』編集長 品川文雄先生のお話
少し勉強 たくさん勉強
『2000年の夢』アンケート結果
事務局からの連絡
知的障害を持った子どもたちとともに

 私達は、五体満足で、脳についても健康な状態で小まれてきました。
 これが当たり前だと、思うのは什方のないことですが、現実には生命として、障害を持って生まれる場合もあります。日本においては、知的障害を持っている人は、約30万人(厚生省平成7年度統計)。全人口の0.25%、400人に1人という、計算になります。
 このことは、子どもを持つ親は子を産むときにまず最初に気になるところ(無事生まれてくれるかどうか)であり、結婚以前の若い人達には実感できない二とかもしれません。

 さて、知的な障害を持った子は、一般的に、いわゆる普通の子と同じように、体格的にはすくすくと成長します。ただ違うのが、「知」と言う面での発達が遅いということ(個人差はもちろんあります)、普通であれば、食事をする、歯を磨く、着替えるといった生活面の習慣は、徐々に身につきます。そして、勉強をしたりスポーツをしたり、友達との交流の中で、社会のルール、やってはいけないこと、いろいろ工夫することなどを学んでいきます。そして、徐々に自分の意思で外に出て、社会と交わるようになります。責任のある行動をするようになります。
 しかし、障害を持って生まれた彼らはなかなかできない・・・。

さて、彼らは、子どもから大人へ大きくなっていきます。20歳、30歳、40歳と成長していきます。彼らがどう生きるのが理想かというのは、いろいろ、議論があるようですが、知的障害をもった人やその家族と関わり合っている私達に何ができるのか。
子ども時代は遊ぶ。(今のポランやえくぼのように)
では、18歳を超えてからは?どのように生活するのがいいの?
大人になっていく彼らとの付き合いいはどうすればいいの?
(必要な援助をながらの)自立とは?
今はただ遊んでいるだけだけど、大人になるまでの何か役にたつことは手伝えないのか……と良く思います。

最後に「個の尊重」という言葉が最近よく使われます。
一つのいのちをどのようにまっとうさせるかは、その人自身の課題(責任)ですが、それがひとりではできない人の場合、そばにいる人が補助する必要(あと責任))があります。一緒に人生を歩むという意味で。
 これはやはり他人には難しいのでしょうか?親しかできないことなのでしょうか?これを読む皆さんはどう考えますか?

白銀は招くよ〜♪ 苗場スキー場日記

 1月5日の朝、大宮に集合。 2台の車で2泊3日スキーの旅に出発。 N井家はママとともよとボク、ひろゆき。 ボラさんはK川さん、Y田さん夫妻、ごんごん・さいさい・M尾さんと日G(姉)さん。 車の後部座席でボラさんに挟まれて遊んだり、甘えたりしている内にあっという間に到着。 サンテラ苗場でひと休みしていざ雪山へ。 といっても1日目はあまり時間がなくってちょっとしか遊べなかったんだ。早起きした上に運動して疲れたボク達は全員一致で地元の温泉へ!男湯でボラさん達と男の友情を深めた後お宿でボクは夢の中...。 翌朝は焼きたてパンとフレッシュヨーグルトでエネルギーを充電して皆で歩いて5分のスキー場へ。スキー組と分かれたボクとボラさんは雑木林で雪中散歩。時々お気に入りのフレーズを叫びながらズボッズボッとあえて雪深いところへ行ってみたりして...だってスキー靴のボラさん、ボクよりいっぱいコケて面白かったんだもの。雪山のメニューは盛り沢山。「1、2、3、4...」と一歩一歩数えながらプチスロープを登って「ひょ〜」とソリで滑って下りてくるんだ、うーん快感。《もっとこの坂続かないの?と見上げるヒロ君の目、説得力ありすぎ。》 ひとしきりソリと二人だけの雪合戦で暖まったところで、さっきから気になっていたスノートレインに挑戦。昨日はともよと乗ったけど今日はボク一人でチャレンジさ。ま、余裕だけど。カップルの兄ちゃんの「俺、超恐いよ〜」という声を背中に聞きつつ、ワクワクしながら待っていたんだ。ちょっと心配顔の運転手さんに「普通にやっちゃって下さい」とボラさん言ったけどボク不満。「おもいっきりやっちゃって」で良かったのに。 《雪原に響き渡るヒロ君の笑い声が全てを物語ってました。 スノートレイン→スノーモービルで頑丈ビニールボートを引きずりまわす過激な乗り物》 いろいろハプニングもあったけど、カレーで力をつけて午後は皆で雪合戦。最初は「なーにやってんだか、いいオトナが」と見てたんだけど、ちょっとKさんに雪だまぶつけてみたら妙に快感でさ、手袋脱げても、転んでも雪だま投げ続けちゃった。 でも、1回投げる度に笑いのツボに入ちゃって大笑いしちゃうんだ、ボク。 これって"雪合戦ハイ"? ともよたちは大きな雪だるまを作ったんだよ。ちゃんと手も目もある超大作。「動いたりして」なんていうオトナ達に「動くわけないじゃん」って賢いともよは教えてあげてたよ。 まったくオトナって。 最初はスキーを恐がっていた友代も、ボクが散歩をしている間にボラさんに教えてもらって午後にはリフトにのって軽々滑って下りてこられるようになったんだ。  《子供のバランス感覚はすごいぞ〜》

また皆で行きたいな、次回の雪合戦はいつかな? Kさん。


お餅を食べて今年も元気!

1月15日、今年1年のみんなの元気と幸せを祈っての大お餅つき大会。 お母さん方&ボラで朝から仕込みです。なにせ食べ盛り多数を含む、総勢40名のきなこ、大根おろし、納豆、そしてお握り...半端な量じゃありません。でもボラがぎこちない手つきで米を研ぎ、納豆やあんこをこねくりまわしている間にパパパッとパウンドケーキやけんちん汁をこさえちゃったお母さん方、さすがっ!大量のお握りを火傷寸前のスリルを味わいながら握っているうちに子供達もやってきました。

クリスマス会以来、次のイベントはぺったんぺったんお餅つきと楽しみにしていてくれた○○君、綺麗な新しいボラさんたちに囲まれて超ハッピー顔の△△君。 みんな美味しいけんちん汁にお餅にケーキに、ちょっと不恰好なお握りを頬張ってやっぱりハッピー顔。さて、問題のお餅つき、去年より一段とたくましく大きく杵を振りかぶるオトコの子たち、やっぱり真っ白いお餅に触ってみたくなっちゃって思わず臼に手をつっこんでみたそこのキミとあそこのキミ(「火傷しちゃうよ〜!」と慌てる大人達を尻目にニコニコ指にくっついたお餅をたべてたキミ達、実は大物かも!?)、絶妙のタイミングで水差しをしてくれたお母さん、そしてへっぴり腰のボラ、全員の協力で美味しいお餅がつき上がりました。

お腹いっぱい食べた後は食後の運動しなくちゃね、とプレイルームで遊ぶ組あり、みんな大好き"水遊び"が簡単に出来ちゃう「ふれあいセンター調理室」の地の利を最大限に活かし蛇口めぐりをしている子あり、やっぱりなにはなくとも食休みをまったりとしている子あり、ぬれている危ない床をモップで拭いてくれている□□君あり...(ありがとうっ)。 いつにも増してたくさんのボラさん達も参加してくれてとても賑やかで楽しい1日でした。 また、是非遊びに来て下さいね。 子供もオトナも待ってるよん。  それにしても食べ過ぎで帰り道からだが重かったこと... 


無題   知的障害を持つ子供とその親のための集まりでポランというボランティアに参加した。このボランティアでは子供たちの親が中心として活動し、大学生などのボランティアがそれを援助する形になっている。クリスマス会と餅つき会の二っに参加させてもらった。自分は初めて知的障害児と触れ合った。この会では親たちが中心となっているので、今までの活動とは違い子供たちの親とも話ができ、子供と親たちがどのように関わっているかも見ることができた。この経験はとても勉強になった。

1、餅つき会の時に出会ったT君
 子供の保育は保育園、幼稚園に通っているといってもやはり基本は家庭での家族との関わりである。その家族の関わりを家庭とはまた少し違っていると思うがその一部を間近でみることができた。しかしそれが障害となり、自分と子供の関係を作るまでにはすごく苦労した。餅つきの時に一緒に遊んだ丁君は言葉を話すことのできない子だった。母さんと挨拶した後、お母さんと二人で丁君に付き添っていた。もともと安定した関係が築かれている母親の隣に、わけの分からない人が、自分についてくるという感じに受け取られたのだろうか。T君はこちらの方を気にしながら母親の脇にペッタリと抱きついていた。突然自分の手を引っ張ったり、払いのけたりしていた。それを見て、それは自分に対してあっちへ行ってくれという合図だったのだと思う。言葉で言われたのではないが、はっきりと居心地の悪さみたいなものは感じていた。子供となにか関わりを持たなければいけないな、と感じた矢先の出来事だった。それから何時間か後には膀にいてもいいよという感じで手をつないでくれたりもしたが、子供にはっきりと拒絶の反応を出されたのはこの時が初めてだったと思う。これにはもともとの性格というのもあるだろうし、はじめて会った人にすぐにそのように簡単になついてくるとは思っていなかったが、今までそういったはっきりとした形で嫌だと表現してくれた子供はいなかった。最初の方はこの子供が何をしたがっているか、どうしてほしいのかまったく理解できなかった。このことも自分を受け入れてくれなかった理由だろう。コミュニケーションがとれないというのはとても困ったことである。どういう形でもコミュニケーションがとれていればいいのだが、自分が不憤れだったのもあり全くとれなかった。また最初に親との安定した関係があったからかもしれない。それは子供だけが知っていることだが、コミュニケーションの難しさを知った。最後のほうでは行動や目線などで何がしたいのかが少しだけ分かってきた。色々な方法で子供は自分の気持ちを伝えようとしている。だひたすら傍にいるだけの自分を受け入れてくれた丁君に感謝している。

2、クリスマス会
クリスマス会に顔をだした時にはD君と一・緒に遊んだ。この子はいっもいつも動き回っている子供だ。この子は噛み癖があり、最初に挨拶したときにも片方のほっぺをつねりながらもう片方の手を噛んでいた。すこし憤れてくると自分のほっぺたをつねってきたので同じように片方の手を噛みながら軽くほっぺたをつねり返すと嬉しそうにしていた。音楽が好きで音楽が鳴るとうれしそうに体を揺らしてリズ冷にのっていた。あとお気にいりは水遊びだった。手洗いの洗面場で水を出しっぱなしにして水をためている。やはり音が好きならしく、水をビシャビシャはねさせたりして遊んでいた。隣にいてずっと見ているといつまでも水遊びをしている。音が好きということがわかったのでD君がコンコンとプラスチックで蛇口のところを叩いているのをみて、こちらが「コンコン入ってますか?」といったらそれが気に入ったらしく何度も何度も蛇口を叩く。1そのうちD君はそのフレーズを口ずさむようになった。  この子との関わりで学んだのは継続的に同じ子供に会うことの重要さだ。この子と自分の関わり始めは「噛む」ことではじまった。そこから始まったこどが原因でこの子供の「噛む」という行為を認めてしまったのである。親にすれば「噛む」という行為は許されない行為だったのだ。.D君は小学5年生でかなりいい体格をしている。その子が「噛む」といえばかなり痛い。D君は楽しそうにしたり嬉しそうにしている時に噛んでくるのでこれを受け入れてしまった。子供の欲求を満たすために噛まれるのならいいかなと思い親と違った立場で行動してしまった。このまま噛ませておいてそのうち落ち着けば噛み癖もなくなるだろうと思った。また子供の欲求を満たし、次の欲求へ向けてあげるこどが子供との関わりで基本になると思っている。だから痛いときは「痛いよ」と言いながらも「噛む」ことに対して絶対駄目というような考えを持たなかった。しかしD君はそのような段階ではなかったのである。親とそこにくるボランティアの人々は噛むこと自体を駄目としていた。また自分たちに噛みつくのならいいが、他の人たちに噛みついたら困るからということで対応していたのである。このように違った対応をされると子供の方が困ってしまうのでこれから気をつけなければいけない。ひとつの行動から色々な対応が出てくるのは対応する人がどの立場に立っているかということに影響されている。一一時的にみただけではやはり子供が今どのような状態にあるか、どのような発達段階に子供がいるのか分かるものではないと痛烈に感じた。それと同時に「叱る」重要さもわかった。

3、講義を受け
 講義を受け自分の子供との関わりを一から考えた。他の人の慧見を聞いて自分だけの考えでなく広い視野で考えることができた。殆どが障害者との関わりだったが、健常児も同じだと思う。児童との関わりという点からみれば、「子供が現在を最もよく生き、よりよい未来を創る力を養う」ということに変わりはない。ただ障害児の場合は少し時問がかかるだけである。その確認が皆と話すことによりできた。これからどんどん生活のスピードが速くなり子供を育てにくい杜会になるだろう。その波には乗らず、児童のぺ一スに合わせ、たま一には立ち止まれるくらいのぺ一スで、また自分に余裕を持ち児童と関わっていきたいと思う。

「フィールドワークのススメ」

聖学院大学児童学科S.Y.

「どうすれば、もっと大学生をボランティア活動を中心とした杜会活動に巻き込んでいく二とができるのか?」ということを真面目に考えるグループが最近学内に発足したこと もあって、その連携からも、学内で唯一杜会渚動を「単位付与」というかたちで承認している「フィールドワーク」のカリキュラムを、もっと学生の手で盛り上げていかねば、と私は最近考えています…
 「フィールドワーク」というのは、本来の意味すると二ろでは、文化人類学の範疇に収まる概念で、それは研究の対象である未開杜会や異文化圏に、観察者自らが実際に入り込み、現地の人々と生活をともにし、そこから現実の生のデータを収集しようとするものなのですが、児童学科としての、あるいは大学生としてのrフィー・レドワーク」はそれとは少し意味合いの違うものでありたいと考えています、つまり、「フィールドワーク」という活動により複合的な意味を持たせることで、より多くの学生の二一ズが、そして活動に関わるすべての人々の二ーズがそこでうまくかみ合うようにしていきたいのです。例えば、研究目的だけで、いろいろな杜会活動に参加したとしても、ちっとも杜会的貢献にはなりはしないでしょう。しかし、反対にただボランティアとしての活動実績をいくら積み上げたとしても、そこで得た体験がちっとも体系化されなければ、個人が利用可能な経験としてその人のなかにその体験が根を下ろす二とはないでしょう。私自身の経験から思うに、社会にはいくらでもそこに生きる人々の二ーズが転がっているものなので、「ボランティアとはこれをすることなのだ」「フィールドワークとはこうあるべきだ」といった杓子定規な考え方は捨てて、いろいろなものを巻き込みつつ、ひとつの活動をより有意義なものへと深化させていきたいと考えています。
 大学はじめ学校のカリキュラムは教員が一方的に作るものであって、学生は言われたことをただ淡々とこなしいけぱいいというのが当たり前だった時代のひとたちには、少し理解し難いことかもしれませんが、現代の若い世代にカテゴライズされる私としては、学生はもっと自分のやりたいことを社会に認めさせるような活動を積極的にやっていってもいいのではないかと感じています。学ぶ主体も生きる主体も常に自分にあるのですから、当然の権利して、そのような権利を主張してもよいのではないかと二さまざまな活動を進めるなかで生じてくる問題は、それは仕方のないことでしょう。この「フィールドワーク」というカリキュラムもまた、何を学生に了解させるのか、何を目的として行うか、そしてそこから生じてくる問題や責任については完全に学生の手に任せてもよいと私は考え、そして実際そのようなスタンスで私自身はいろいろな活動をしているつもりです。社会システムは、インブットとアウトブットの因果関係のハッキリしない分野に対してとても神経質で忌避しがちですが、そのような不確定で偶然性に満ち、た社会のなかで、一個の人間である学生が何を発見し、どのような世界を創造していくのかということにいろいろな人がもっと関心を持ってもらいたいものだと思います。

川口太陽を見学しての感想

なによりすごいと感じたのは、通所生の作ったものを、プロの方がコーディネートしていることです。それだけ見ただけではふつうの絵なのに、そのコーディネートのカ(たとえば、その通所生が、似たような絵を何枚も描いていたら、それをうまくセンス良く並べたりすること)で、「素敵な作晶」になるのです。さをり織りも、足を使えずに手だけで織るとちょっと(かなり)違う感じになってちょっとこれは失敗?…と思うようなものに昼るけど、それも、やっぱりプロの方がオブジェ(っていうんでしょうか)にどうかしらって、発想を変えて作品にしてしまうのです。「障害をもつ人が作ったから」という同情で売れるのではなく、本当に気に入って買ってもらえるのです。中には、どこかで 展示していた絵が、誰が錨いたか知らずに、プロの方に絶賛されたというものもありました。プロの方となぜ関わることができたのかは時間が無くて聞けませんでした。
 それから、もうひとつ印象的だったのは、所長さんが外部のひとにどんどん入ってきてもらって、感じたことを指摘してほしいといわれたことです。これから、施設などのサービスの質を悪くしないために、客観的な見方が必要だといわれています。川口太陽を見てきて、理想的だけど現実に「理念と哲学」(所長さんの言葉)をもって、やっている人たちがいるんだ、やればできるんだなと思いました。S.R.

手話で話そう!!

各都道府県名の手話表現

品川文雄先生のお話

『みんなのねがい』編集長
2月19日ふれあい福祉センターにて

ごくざっくぱらんに日ごろのことをお話いただきました。
草加市のたかさご小学校特学の担任として今どういう子どもとつき合っているか
どういう授業をしているか先生として何を子どもにしてあげられるか
ご自身の経歴50歳の大台に乗ったとおっしやる品川さんは、それこそ障害者の
道のりと同じようにすごし 教育大の障害者教育学科を出られ実習で京都の
よさのうみ養護学校で 貴重な経験へて 自ら障害の重い子ども達の教育に
かかわる新設校に名乗りをあげた 今振り返れば 若い頃 十分に指導して
揚げるられなかったことに 悔いの残ることもあると正直に反省していらっしゃるとてもまじめに取り組んでいる姿が伺えた。

『みんなのねがい』では そのときどきの特集でいわゆる専門家でなく
ごく普通の人の話を載せたい ちょっと落ち込んでいるような人の力になれるような
編集を心がけている
先生が教員になられたころは 障害児の教育が認められておらず 今では昔話のようだが
うちのような子も 学校に入っていいんですか?と涙ながらに話すお母さん方がいた
10年前は 本当にそうだった
これからの10年間 ちゃぱつや がんぐろのお母さんの時代に 昔はそうだったねー
といわれるよう 今のお母さんが頑張って 放課後保障や 青年学級の活動を 継続し
予算化もできるといいね とのお話でした

少し勉強 たくさん勉強

 身体や知能に障害をもった方々に関する統計資料は、ふだんあまり目に付くことがありません。今回、総理府(国の一機関)が毎年出している「障害者白書」を手に入れま したので、その中身を少し抜粋します(知的障害関係を中心にまとめました。)。

1.障害を持った方々の人数
全国で知的障害児(者)として、約41万3千人の方々がいます。
うち、18才未満の子供は、約9万6千人です。
(身体障害の方は、それより多く、全体で約317万人です。)
統計によると、60歳以上の方は全国で13,700人(平成7年度調査)いるようです。
大人の方々を普段見かけないのは、施設などに入っているからでしょうか。
そして、悲しいことに年齢不詳者が、16000人いるようです。
毎年必ず、日本のどこか、世界のどこかで知的障害を持って生まれる子供がいるということ。忘れないでおきましょう。

2.18歳以上の人たちはどこへ?
 通常、知的障害を持って生まれた子は養護学校に通います。では、高校を卒業したらどうするのでしょうか。皆さん知っていましたか?
まず、一番目に挙げられるのが施設です。施設には、更正施設施設と授産施設があります。また、それぞれ通所と入所があります。最近では、それ以外の形式(福祉ホーム、デイサービス等)もあります。

(全国の状況:平成9年度:人数は定員)
知的障害者更正施設(入所)/1175カ所79386人
知的障害者更正施設(通所)/285カ所11100人
知的障害者授産施設(入所)/215カ所13590人
知的障害者授産施設(通所)/704カ所26966人
その他の施設合計275カ所4428人
全国で約10万人分の受け入れ施設があるようです。
とすると、残りの人たち20万人の方々は、在宅。(なんと全体の2/3。)
何がその人にとって幸せなのか(家族も含めて)考える必要はありますが、大人になってから行くところがないという人達がいるのは、寂しい限りです。
(つづく予定)
「障害者白書」にのっているデータをごらんになりたい方は、プロペラ事務所まで。

『2000年の夢』アンケート結果

「2000年の夢」アンケート御協力ありがとうございました。
予想どおり、回収率はゼロに近いパーセント!!?
でも、ちゃんと書いてくれた人もいます。それをここで紹介します。
(1)今年もやれるといいなと思うこと
・バーベキュー・山登り・夏のキャンプ・イチゴ狩りと益子焼
・ミカン狩り
・クリスマス会(おばさんパターンとは違うノリノリパーティ楽しかったです。
・夏休みの活動を去年より充実させた形で行いたい。
・長期の夏休みの活動とても良かったです。今年も大勢のボラさんが集まってくれると嬉しいです。
・河口湖キャンブイン「サンテラ」できれば2泊がよい。少しのんびりセきるかな・・。

(2)会報の企画で載せて欲しいもの
・顔写真入りでのボラの紹介(新旧改めて自分自身をアッピールしてみては?)
・ボラさんが色々な活動、行事に参加したときの感想、要望
・楽しく読んでいるので、今のところは充分です。今ちょっと思い浮かんで来ないので。
(3)あなたの「2000年の夢」をお願いします。
・知的障害を持った子供達は、他にいろいろな病気を伴っています。
ダウン症症候群、自閉症症候群とてんかん惰緒障害児とてんかん等、私たち親が子供をポランティアさんにお願いするとき、それらの病気のことを知って(勉強)おいていただけるとどんなに心強いかと思います。
講演会などでお誘いをしていきたいと思いますので、その時は是非参加してください。
・毎年手を合わせて神様にお願いすることは、「家族皆が元気で過ごせますよう」。夢というより、まいにちに生活を大事に生きているのかな?
・自分自身に対して今一度見つめ直していきたいと…。
子供と供に○○年間走り続けてきた今、もう一度原点に省り、自分のために生きること、子供の可能性を又、新たな気持ちで見つけだしてゆこうと…大勢の人とに出会いの中で、学ぷこと新しい発見があり、良い出会いをしていきたいと思っている。自分に素直に肩の力を抜いてゆっくりゆっくり。二人で歩いていこうと。
せっかく○○を育てなさいと神様が私を選んでくれたのだから楽しく育てなければ…と

事務局からの連絡

〇会計から(M)
口会計報告(1月1日から2月16日)まで
<収人>
会費(2名)・・・・・・・・4800円
賛助会員(6名)・・・・・14400円
フリマ(1月30日)・・・・24740円
マザーランド送料/入金9880円

<支出>
印刷代・・・・・・13661円
現像代・・・・・・2661円
マザーランド送料/出金26660円
口1月30HにH口さんたちが、お台場・でリサイクルマーケットに出店してきました(売上げ24740円)。お疲れ様でした。また、品物を提供してくださった皆様方もありがとうございます。プロペラではこれからもリサマに参加したいと考えていすので、ご脇力くださるようお願します。
[]4月より新年度になりますので、会費を集めます。2400円現行のままです。活動のときにき持ってきてもらうか、銀行口座に振り込んでください。
ロプロペラ会計は、非常に厳しいです。会費だけでは足りず、リサマや個人寄付に頼っている現状です。ないものねだりはできませんが、もう少し金銭的な余裕があればと思うこのごろです。

○活動の記録
1月5,6,7日N井さんたちとスキー旅行
11日大宮北養護学校3学期開始
15日お餅つき大会
22日ふれあい音楽会(えくぼ主催、ポランの広場参加)→クレールとあそび虫 とてもよかったです。プロペラでもいつか呼びたい!!!
30日お出かけポラン(スケートと映画)カラオケ大会(えくぼ)
2月5日午前中 打ち合わせ(ポランの広場、えくぼ)午後大宮第二公園(ポランの広場)
12日第10回音楽交流会算ア(ポランの広場)
19日ポランの広場勉強会
27日プール活動(ポランの広場)
○次号より「サイサイ・ゴンゴンのボランティア日誌」を掲載します。

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